法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『メーテルレジェンド 交響詩 宿命』

ひとつの惑星が、周回軌道で凍結をむかえつつあった。国民が窮乏していくなかで、女王プロメシュームは学者の進言により人間の機械化に着手する。
まず女王から脳内にチップを埋めこみ、徐々に全身が機械となっていく。しかし学者は女王や国民を機械化して支配し、搾取しようとしていた……


松本零士作品のミッシングリンクとして、2000年と2001年に販売された各40分の中編OVA。『宇宙船サジタリウス』の横田和善が監督。

GYAO!で8月16日から無料配信予定。おそらく初めてだと思うが、何か松本零士関係のイベントでもあるのだろうか。
gyao.yahoo.co.jp
銀河鉄道999』の敵プロメシュームを別作品『新竹取物語 1000年女王』のヒロインと同一に、生身の時点で女王に設定して、機械化人の学者ハードギアに騙された被害者と描く。
DVD収録の原作者インタビューにあるように、『銀河鉄道999』時点のプロメシュームは機械化で人格が変容したたという位置づけ。娘のメーテルは女海賊エメラルダスと姉妹に再設定された。


『新竹取物語 1000年女王』についてはTVアニメ版のぼんやりした記憶しかないが*1、『銀河鉄道999』が好きだった一読者としては原作者と解釈違いだった。
プロメシュームは妄執にとらわれたロボット技術者だからこそ、人文学の蓄積を無視して目先の合理性のため階級制度を採用し、女王という幼稚といっていい立場を選んだと思っていた。それゆえ機械文明は個人の反抗をきっかけにハリボテのように崩れ去り、惑星ラーメタルともども哀れで矮小な実態をむきだしにして終わった……というドラマととらえていた。
それがこのOVAのように、学者に騙されて国民のためと信じて結果的に悪政をしいた女王となると、能動的に動いた責任や支配体制そのものの問題が問われなくなってしまう。それでいて銀河全体から見捨てられた復讐という哀しみも消え去ってしまう。


しかも2巻になるとカットのつながりが飛んでいるかのような場面が散見され、ダイジェスト感があった。完全機械化したプロメシュームがハードギアの器の小ささを指摘して超越し、『銀河鉄道999』へつながる結末へいたる。
しかし銀河鉄道そのものがラーメタルへ人間を拉致する路線だったという根幹設定とも齟齬がある。説明されているのはラーメタルの軌道とたまたま重なる位置設定だけ。このOVAでは少女ふたりを救って去って終わり、メーテルが機械化されることもなかった。ちなみに父親は『銀河鉄道999』と同じく時計にされているが、特に台詞はなくてドラマにまったくかかわらない。
たしかに銀河鉄道は後年の『銀河鉄道物語』でプロメシュームとは独立したインフラ機関と印象づけられてはいるが、そうした各作品の整合性を無視して、母の魂の死と少女の脱出劇を描いた独立したドラマと思うしかなかった。


そのように各作品の連続性を強調したところは過去作品の良さを消してしまったと思うが、SF設定で描いた古典的な権力簒奪劇として楽しむことはできた。ディストピア寓話としての『銀河鉄道999』の一編らしさはある。
厳しい状況に追いこまれて判断を誤った女王が権力を簒奪されていき、ふたりの王女が反抗していくという構図はわかりやすく、味方と思われた人々が機械化する悲しみも率直に描かれている。


アニメーションは実質的にベガエンタテイメントが制作し、近年『ドラえもん』で活躍している嶋津郁男がキャラクターデザインと作画監督を担当。安定した作画で松本零士絵を再現。魂をぬかれてゴミのように捨てられていく生身の肉体など、世界観にあった情景も悪くない。
特に、機械化する肉体のおぞましさを、よくあるメカむきだしな皮膚などではなく、いわゆる松本メーターが腕や顎に無数にできる表現にしたのは良かった。OVAの数年後に流行した「蓮コラ」という不快表現を連想させつつ*2松本零士作品の魅力的な記号が悪夢に転化する驚きと独自性がある。同じ観点の「翔太郎@tsuji19890323」氏のツイートを紹介。

*1:放映当時から連続性のある設定ということを宣伝などでにおわせていたようだが、おぼえていない。そもそも作品内で連続性を確定しなかったらしい。

*2:それへの恐怖症はトライポフォビアと呼ばれているが、まだ議論がつづいている様子。 natgeo.nikkeibp.co.jp