法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

なぜ反原発デモで自動車ではなくベビーカーが使われるのか

どこまでが「はてな民」? - 法華狼の日記で取り上げた論争を、別の角度から論じたfut573氏のエントリが興味深い。


反原発デモとベビーカー参加 - 情報の海の漂流者

なお、amamako氏は僕のツイートをゼロリスク志向だと判断したようだが、健康によろしくないことと、参加すべきか否かの判断は別レイアーである。

僕は、デメリットを上回るメリットがあるとは考えないため、乳幼児が個人的には政治デモにベビーカーが必要な年齢の子ども参加することには否定的な立場だ。


ベビーカーが必要な年齢の子どもは基本的に自らの自由意志ではなく、親の政治的志向によりデモに参加することになる。

デモの持つ様々な身体への不安を指摘し、自己決定権のない者を参加させることには否定的といった結論。
もちろん問題の反原発デモも、マスク着用や脱水症状への注意喚起もされている。「途中でケガや気分の悪くなった方はすぐに周りのスタッフに伝えてください」ということも注意事項に書いている。
しかし他のデモと異なるということで注目された部分もある。「パレード途中での参加及び離脱は原則的にできません」という注意事項だ。

ベビーカーを必要とする乳幼児の参加を前提としている場合、途中参加や離脱を自由にしたほうが良いのではないかと僕は考える。
乳幼児のペースに合わせてテンポを調整することができるからだ。

この注意事項がエントリの論調を左右したむねをfut573氏はtwitterでも述べていた。


一方で[twitter:@amamako]氏は、「原則」が必ずしも「現実」の制約になっていないという経験談をツイートしている。

しかし個人的に注目したいのは、amamako氏のツイートでも補足的な内容となる後者だ。今あるデモの形態は、主催者と参加者だけで形作られたわけではない。治安や監視を目的とした警察の介入はもちろん、とりまく社会のまなざしによっても形作られている。
原発デモも注意事項をよく見れば、警察の指示によってデモのペースが変えられうることが具体的に書かれている。
エネルギーシフトパレード

●安全の為に、パレード中の歩く場所など、警察の指示に従いましょう。

実際、デモの隊列が警察によって分断され、逆に混乱させられたりまでする問題は、よくデモ当事者から語られる。
そしてベビーカーを求める注意事項と対になる、車での参加を「原則」という表現抜きで不可にする注意事項も確認できる。

●小さなお子さんをお連れの方は、長い距離を移動するのでベビーカーをご持参で!

●お車でのご参加は出来ません。一輪車も、インラインスケートも、ゆっくり走ると不安定になるものは
ご遠慮くださいね。

デモで連続的に自動車を使用するには、少なくとも日本では警察への申請が必要だ*1。広く不特定多数から参加者をつのったデモにおいては、自動車を用意したり申請することは困難だろう。
健康不安よりも見映えを優先してベビーカーで参加させたわけではなく、少しでも安楽に長距離を移動するためベビーカー持参でデモが行われたのだ*2


論争の発端となった[twitter:@harukazechan]氏は、下記ツイートのような意見も出していた。
10歳児にマジになってる大人気ないはてな民 VS 10歳児なのに何故かネット議論を熟知しているはるかぜちゃん - Togetter

しかし前述したように、「赤ちゃんを連れたおかあさんだけ小さいのりものにのせて」は「いろいろできること」に入りにくい。「人ごみにまぎれないように赤ちゃんのまわりに間をあける」も、主催者や参加者の判断だけでできるとは限らない。そもそも、赤ん坊をつれなければ母親がデモに参加できないような社会にも問題があるという指摘は、すでに様々な観点からよせられている。
むろん、デモを困難にさせている社会の責任は、まだ幼く選挙権も持たないharukazechan氏が重く負うべきとは思わない。
ただ、第三者としてデモをまなざしている全ての人々に、今あるデモを形作っているのは社会全体の責任でもあることを知ってほしい。論争を他人事のように娯楽として消費しているだけの人々もふくめて、だ。

*1:http://sounddemo.nobody.jp/j/reclaims.htmlこちらの申請顛末記が、デモにおける車の微妙な位置づけも語られていて興味深い。

*2:ちなみに申請や行進のノウハウを熟知し、参加者をしぼったデモに対しては、よく「プロ市民」という言葉が批難の意味をこめて投げかけられる。反原発デモに対しては、人力の乗り物を使わないとエネルギーの無駄使いという批難も見かけたことがある。