法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『バトルスピリッツ 少年激覇ダン』第50話 さらば、激突王!

最終回。出会ってきた人々の力を借りてラスボス異界王を倒すとともに、人類には早すぎた異界との出会いを解消し、ともに戦った仲間と別離していくというファンタジーの王道を描いた。
石川てつや作画監督に長生中、菊池晃、湯本佳典らも原画におり、作画も充実していた。Xレア召喚時にポーズをとるサブレギュラーや、老化していく異界王のメタモルフォーゼ作画が目を引く。


さて総評をかねた感想だが、様々な別離の形を描きつつ、主人公が異界で最初に出会ったマギサとズングリーとの別れに集約されていく構成は見事。マギサが異界と地球の分断を決断し、ズングリーが最後まで抗議するという構図は対比表現であると同時に、両者が異なる形で主人公のことを大切に思っていることを示す。
世界観の根幹をなすカードゲームを楽しく遊び続けることが最終目標となるTCGアニメで、別離に重点を置く結末は打ち切りでもないのに珍しい。TCGアニメよりファンタジーアニメが好きなので個人的には問題ないが、いかにもサンライズアニメらしい販促性が薄かった終盤を象徴するような結末だとも思う。
異界王は最後まで矮小な、自分を認めなかった世界に対する怨念で動いていた。このこともTCGアニメらしくない結末に繋がっている。絶対的な強者が悪事をなしたのであれば、逆にいうと強者さえ倒せれば悪事を起こせる者がいなくなる。しかし矮小な異界王ですら世界の破壊と再生をもくろむことができた以上、異界と地球を分断することが最善の策になってしまう。


ただしTCGアニメとして全くつまらなかったわけではない。物語における重要度こそ低かったものの、異世界における戦闘表現と考えれば魅力ある戦いを見せてくれた。
バトルスピリッツ遊戯王などと違い、カードの数値がどれほど高くてもライフは一つしか削ることができない*1。また、数値がどれほど高くても、攻撃や防御をするだけで疲労して次のターンまで何もできない*2。そしてカード同士が戦う場合は数値差がわずかでもあれば勝てるが、逆に数値差がどれほど多くても特典がつくわけではない。つまりチェスや将棋に似て、どれほど強いカードでも弱いカードに倒されたり牽制されたりする。数値を高めるよりも手数を増やして*3攻撃対象を選ぶ*4効果と、その使いどころの判断が試されるゲームなのだ。だから召喚に手間がかかるXレアより、弱くても場を早々と固められるカードで速攻することが勝利に繋がったりする。
最終回もXレアという珍しくて数値が高いカードが雌雄を決するのではなく、手数を増やしたりライフを削られる量を抑制する作戦が有効だった。そのため地味なカードを渡した、ライバル百瀬勇貴やズングリーも勝敗に深くかかわっている。そして印象的な敵キャラクターとして途中で消滅したパンテーラ*5が主人公の勝利を最も助けた存在として描写されたことには、不意をつかれて思わず感動した。


印象的だったキャラクターの最後は全てていねいに描き、しかしまんべんなく同じ重みで描いて単調にする愚もおかさない。キャラクターを大事にしていたアニメだったと思う。

*1:シンボルの数という別要素で多く削ることができるカードはある。

*2:他のカードゲームでは、防御状態ならいつまでも防御可能というパターンが多い。

*3:その代表が最終回で異界王が使った「超覚醒」。

*4:その代表が「激突」。

*5:この異界王が作った人造人間が、異界王勢力の誰よりも人間らしく礼儀正しく、カードゲームを楽しんでいたという皮肉な構図も興味深い。