法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『叫』

Jホラーシアター4作目、黒沢清監督によるモダンホラー映画。ほとんど二字熟語のタイトルで統一されたレーベルにおいて、なぜか「絶叫」や「嗚咽」ではなく「叫」一文字。YOUTUBEで視聴した。
Jホラーシアター最終作公開に向けて、シリーズ各作品を期間限定で無料配信 - 法華狼の日記
これまで見てきたJホラーシアターレーベル中では、確かに最も良くできている。広がりある虚無的な空間を舞台として、緊張感ある恐怖が持続する。解決したかと思わせて恐怖が再来する展開もよくできているし、その謎解きも悪くない。なぜ主人公が赤い女を見ているのかも、最後の真相開示できっちりつじつまが合う。
赤い女が雄弁に自己主張することもあって、黒沢清作品としては事態が把握しやすいところも、個人的には好印象だった。


しかしホラーとしての描写や構造は自己模倣といった感が強い。
たとえば、遺体安置所で透明ビニールの向こうに人影が存在する描写は『CURE』終盤と全く同じ。特撮の完成度が高いから楽しく見ていられるとはいえ、人間の飛び降りを見るのも『CURE』や『回路』から数えて何度目になるだろうか。赤い女の見た目や芝居はTVスペシャル『花子さん』とほとんど同じ。
役所広司演じる主人公の周囲で恐怖が伝染していき、全ての根源を廃墟で探索し、パートナーとなる女性と迎える結末、この全てが『CURE』のリメイクとしか思えない感すらある。少しずつ意味をずらしているので先が見通せるほどではないものの、新鮮味が感じられないことは確か。


赤い女の行動が不条理すぎて、恐怖を超えて笑いを生み出しているのも意図的なのかどうか。雄弁であることは不条理さを浮き上がらせていることもあって許せるし、まばたきしない演技も古典手法ながら効果的だが、純粋まっすぐに進む行動が多いのでコントに見えてしまう。
何より中盤の、たびかさなる地震の正体が赤い女であったという描写は、主人公が見た幻とはいえ笑いを意図しているとしか思えない。形而上を描く比喩表現に直喩な真相を用意してどうするんだよ!


あと、うがった考えをするなら被害者達はリア充気味なところをつまづいたため惨劇に遭遇したのであって、もし最初からモテない人間が赤い女に遭遇していたら正反対のハッピーエンドになりそうな感もある。
もしマンガやライトノベルで同様のシチュエーションを描いたら、霊的な美女が一目ぼれして依存してくるという、いわゆる「落ちもの」のラブコメにしかならないような気がしてならない。