〜正しく生きることは難しい。だからこそ正しく生きることは楽しめる〜
人工知能や仮想現実といった虚構を主題にしたSFの、長編小説としても楽しめる連作短編集。
人工知性体が人間と同じ思考をしているという感想を見かけて不安をいだいていたが、幸いにも杞憂だった。
人工知能の思考を人間語に翻訳しているという視点が明言され*1、人間的な思考を感じさせるような記述を説明しているので、許容できる範囲と思えた。しかしそれこそが重要な伏線だったのだ。
後は、いつも以上に青臭い説教を作風として認められるかどうかだと思う。
さて、本来は関連性なく書かれた短編小説集なのだが、それをパズル的に組み合わせ、きちんと物語を一点に収束させた点が見所。他ジャンルでは連作短編推理小説で多く試され、元は別個だった短編を後づけで組み合わせた作品も『日曜の夜は出たくない』がある。だが、構成に無理があることが多い。世界観が独立したSF短編という強みもあるが、『アイの物語』は知る限り完成度においてトップクラスだ。
それぞれの短編が現実に人間が作ったものと語られ、それが私たちの今生きている現実の状況と全く同じというひねりも良い。物語全体の作中現実と、私たちの生きる現実は同一階層にあるというわけだ。
ヒロインが各短編を語った後、どこでSFらしく科学的なフィクションが入っているかを解説、さらに主人公との会話で論評を加える。つまり作者的な視点が堂々と作中でキャラクターの台詞として提示されるのも楽しい。
どれもメタ的なおかしみにすぎないという考えもあるが、メタ視点はこの作品に最初から導入されている。元から各短編に作中作(『宇宙をぼくの手の上に』)や仮想現実(『ときめきの仮想空間』他)、ヤラセドキュメンタリー(『ブラックホール・ダイバー』『アイの物語』)といった虚構モチーフの作品が多い。さらに入れ子になるよう、ヒロインが各短編を虚構と断って語る形式だ*2。
各短編の感想。
『宇宙をぼくの手の上に』は作中SFと作中現実が響き合う。作中ネットリレー小説の長所短所が現実のサイト小説を思わせて楽しい。作中SFの展開も堅実な出来で、ほとんどあらすじだけでもクライマックスにカタルシスがある。必然にせまられ自己犠牲を否定する点もいい。登場人物がリレー小説の展開を考える様子も小説家の制作方法を想像させ、個人的に興味深い。
『ときめきの仮想空間』は仮想空間ゲームという設定もありきたりで、最初からヒロインの抱える秘密がわかりやすすぎる。十年前という発表時期を考慮しても今一つ。作者の女ターザン趣味を満足させているだけだろう、と。ただ雑誌掲載時には挿し絵がついていたらしい*3ので、それがミスディレクションとなっていた可能性はある。
『ミラーガール』はミラーの立体視システムが現実でも可能そうな技術で、面白いアイデア。しかし物語の構成が直線的で、小説としては今一つ。
『ブラックホール・ダイバー』は白眉。設定描写の多いSFでありながら、美少女キャラクター2人のかけあいで話が進み、ライトノベル的な満足もある。筆致は最も抑制されており、作者にしては主張を声高に語ることもなければ、愚者への冷徹な視線も彩り程度。それが逆に詩情を浮き上がらせる。特に末尾がすばらしい。
『正義が正義である世界』はマンガ的世界を皮肉りつつも、その世界に生きるキャラクターの視点で現実世界がいかに矛盾や狂気に満ちているか、逆説的に示す。バカバカしい空気から一気に重い物語に移り、それでありながら希望を感じさせる結末にいたる構成は、各作品で最も良く出来ている。
『詩音が来た日』は作者が妻に取材したという老人介護の実態が、かなり興味深く書けている*4。作中アニメ『機神降臨エクシーザー』の変形玩具が小道具として使われる展開は、素直にうなった。後半、AIの怪物性を感じさせる描写から、怪物的な存在だからこそ人間を救えるという結論に繋いだのも悪くない。ただ、ラストの松田聖子は色々とどうかと思った。一応、そういった歌が出てくる伏線はあるのだが。
『アイの物語』は表題作にして作中現実であり、インターミッションと同階層で語られる。様々な視点を交互に配置する構成は出世作『神は沈黙せず』と同じ。小説のテーマを説明するだけの設定と思わせた「フィーバス宣言」が、実はロールプレイの結果だったという種明かしもおもしろい。読み返すと、宣言が生まれた経緯の描写は嘘をついてなく、読者が勘違いするよう慎重に書かれている。
人間キャラ目線で見ると、オタクをオタクであることは肯定しつつも他者……特に女性的なそれ……を対等の存在と気づかせる成長小説になっているのも見事。
ただし、語り口調や設定は普通で、他の短編と比べて特にリアリティを感じるわけではない。これが作品全体で真実の歴史として語られるということには違和感がある。オタク的ネタや遊びは、もう少し抑制するべきではなかったか。
それでは、長編小説として示されるものは何か。各短編において、くり返し語られるのは二つの主題だ。
まずは、虚構の持つ高い価値。虚構にこそ思想的倫理的論理的な真実があるという主張。ロボットの論理は人間の倫理と同じ目標を指向しうること。
次には、虚構と現実の等価性。虚構から得られる感動。現実的と称する人間もまた虚構を信じている事実*5。そして人間の鏡像としてのAI。
……一見すると同じような意味を持つ二つの主題が組み合わさり、作中で「真実の歴史」と称されるアイの物語に結実する。
それは、人間が虚構を愛するからこそ、AIも人間を愛するのだという鏡写しの論理。そこから、人工知能は人間的な言動をとってみせたのだ、というSF的な結論まで展開してみせる。この展開は人間社会における他者との関係をも射程に入れていて、小説のテーマとも深く結びつく。
AIは人間らしいロールプレイを見せ、他者の許容と共存をはかる。同じように人間も現実をロールプレイして生き、他者の許容と共存をはかるのだ。
AIは良き人間らしく生きることが困難だからこそ、それをゲームのように楽しむ。ならば、人間も同じように楽しめるはずだ……他者を傷つけず許容する、良き人生を。