共同通信の配信記事を、沖縄タイムスが報じていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=136039
中国・南京の民間博物館関係者が今月下旬に県を訪れ、南京産とみられる一部礎石の返還を求めることが5日、分かった。
県によると、塔は1940年、神武天皇即位2600年を記念し、国内のほか中国や朝鮮半島、米国など約10カ国の石を集めて建造された。
この記事には明記されていないためか、あたかも植民地から石材を切りだしただけのような読解が見られる。
それどころか、あたかも中国が文化財を壊したがっているかのような反応まで散見される*1。
はてなブックマーク - 宮崎「平和の塔」 中国側が礎石返還求める 県苦慮「壊せない」 | 沖縄タイムス+プラス
もちろん記事が説明不足だと解釈するコメントも多いし、id:gurgle氏のように強奪した石だと端的に指摘するコメントもある。
id:ophites氏*2のように記事にもとづいて解釈したものや、id:tzt氏のように他国の文化財を石材につかったという可能性を指摘するコメントもある。
この「平和の塔」については、簡単な来歴をエントリとしてまとめたことがある。
「平和の塔」と「八紘一宇」のオリンピック - 法華狼の日記
この「平和の塔」は、かつて「八紘一宇の塔」と呼ばれ、正式名称を「八紘之基柱」といった。
テレビ宮崎制作のドキュメンタリー番組「石の証言 〜平和の塔の真実〜」の取材班が発見した文書によると、相川知事が当時の陸軍大臣、板垣征四郎氏に献石への協力を求めた事実があったことが分かりました。陸軍はこれを受けて構想発表から約半年後の昭和14年7月末に在満在支各軍に対して「石材寄贈については各部隊毎に各2個を標準とし、1個は軍又は部隊司令部所在地付近のもの、1個はなるべく第一線付近のものとす」 「第一線においてはなるべく皇威の及べる地極限点付近のもの。遅くとも本年11月末までに送付すること」という通達を出していました。そしてこの通達により、まるで手柄を争うかのように、中国全土の最前線部隊から石が送られてきたといいます。
「平和の塔」とは、日本軍が侵略した各地域から石材を奪い、集積させたモニュメントなのだ。それも単に資源を奪ったのではなく、現地の建造物を破壊して送り、石材として利用した。
そう、沖縄タイムス記事では明記されていなかったが、「平和の塔」自体が他国の文化財を破壊して建造されたのだ。
この「平和の塔」の調査をはじめたのは、アニメ映画『うしろの正面だあれ』で知られる有原誠治監督。
空襲を題材にした映画『火の雨がふる』のキャンペーンで1988年に来県し、この塔に案内されたことを下記のように書いている*3。
土台に積まれた石の一つひとつをていねいに見て行くと、そこには確かに「中支片倉部隊」とか「北支七田部隊」「南支派遣軍本部」などの軍隊名が刻まれています。中には、獅子の姿や唐草文様の掘られた中国の建造物の一部と思われる石もあり、それぞれに「南京日本居留民会」「中支志賀中山隊」「綏遠省黒田石黒部隊」と彫り込まれていて、文化財の略奪を思わせました。朝鮮や台湾や遠くペルーから運ばれて来た石もあり、碑文にはその数千七百八十九個とあります。
すでに復元されていた「八紘一宇」の文字に愕然とした有原監督。きちんとした石材の履歴すら記録されていないことを知り、仕事の合間をぬって調査をはじめた。
自己評価としては、素人の個人調査にすぎないゆえの失敗も多かったらしい。しかしその活動で「『平和の塔』の史実を考える会」という団体をたちあげることができて、やがて現地調査でひとつの石材の出所を特定するにいたった*4。
一九九四年に中国を訪問した「史実を考える会」の一行は、画期的な成果を上げました。「中支志賀中山隊」との送り主名が刻まれた唐草文様のある石と、まったく同じ文様の石を現在の上海体育学院(戦時中の上海市政府庁舎)の正面玄関のアーチ部分に発見したのです。引き続く調査で、その石はかつて日本軍によって破壊されて無かったもので、戦後に設計図に基づいて復元されたものであることが判明しました。
この発見は全国紙で大きく報道され、「平和の塔」が嘘と欺瞞に満ちた塔と広く知られたと有原監督はいう。そして「史実を考える会」の調査をまとめたブックレットにおいて、塔を平和学習に活用するように提言されていたという*5。
最近では、韓国や中国の人々との交流を積極的に行ない、“負の遺産”と正面から向き合って、むしろプラスにする保存方法を提案しています。
しかし1997年に書かれた有原監督の著作から約20年がたち、ふたたび「平和の塔」は嘘と欺瞞で塗りかためられてしまった。
その恥ずかしげもなく堂々とそびえたっている姿を見ると、たしかに現在の日本を象徴する「皮肉」な塔ではあるのだ。
平和台公園 - 観光情報|宮崎市観光協会
この「平和の塔」を壊してほしくないならば、せめて「負の遺産」として歴史を直視するべきだろう。