法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『あゝひめゆりの塔』

映画『二百三高地』で知られる舛田利雄監督が、1965年に監督した。沖縄戦で軍機構にくみこまれて犠牲となった女学生たちを描く、「ひめゆりの塔」を主軸にした作品群のひとつ。
太平洋戦争を描いた作品として、すでに古典といっていいだろう。


実際に見ても、太平洋戦争の悲劇を描く映像作品の、良くも悪くも雛形のような作りという感想をおぼえた。シネマスコープの広いスクリーンに、大規模なオープンセットが映し出される、一応は2時間超の大作映画というのに、凄い映像を見たという充実感があまりない。
現在の若者の享楽的な姿から導入し*1、戦時をせいいっぱい生きる若者に重ねて、やがてくる悲劇へ感情移入をさそうという構成。
基本的に銃後の人々を主役としてあつかい、彼らが知らない戦況を淡々とナレーションで説明。
前線の様子は記録フィルムや流用フィルムを多用しており、大規模な特殊撮影は爆撃を受ける場面のみ。
基本的に日本人の周囲だけを映し、アメリカ兵はほとんど姿を見せず、戦前社会の差別構造も描かない。
負傷者の手足をノコギリで切る場面も、当時は衝撃的だったろうが、今ではオマージュ作品の元ネタを見る気分。


はっきりいえば、毎年のようにTV放映される戦争ドラマのようだ。雛形を作りあげた制作者は一定の評価がなされるべきだが、現在に鑑賞すると新鮮な驚きがほとんどない。
良かったといえるのは、ほとんどが戦争映画と関係ない部分だ。特に女学生の“エス”的なやりとりが、けっこう吉永小百合作品では珍しくて良かった。
ただ、切りとった大量の手足を捨てた穴を映す場面や、傷病兵の小便を世話する場面など、直接描写ができなかった当時だからこその工夫された描写は悪くない。ずっと描かなかったからこそ、長い物語の果てにアメリカ兵が一瞬だけ存在感をあらわし、そこから急転直下した結末も印象的ではあった。

*1:ただし1972年の沖縄返還より前に公開されているので、沖縄に対する若者の意見を並べている部分は、劇映画ということを考慮しても貴重な記録だと感じた。