法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ロシアン・スナイパー』

第二次世界大戦時のソ連に、ひとりの女性狙撃手がいた。戦争協力を求めて米国におとずれた時、20代で309人のファシストを殺害した戦果ともども注目される。
ルーズベルト大統領夫人も狙撃手に好意をもち、私的な交流をもった。大戦後にソ連へおとずれた時も、フルシチョフ大統領よりも先に面会しようとするほどに。
そして大統領夫人は語りはじめる。リュドミラという敬愛すべき女性の横顔を……


独ソ戦の実話にもとづくロシアとウクライナの合作映画として、2015年に公開された。この題材で紛争の最中に公開したことには驚かされる。

原題は「Bitva za Sevastopol」といい、意訳するなら「セヴァストポリの戦い」といったところ。ただしセヴァストポリ撤退戦が描かれるのは後半の少しだけ。全体としては女性狙撃手の物語であり、内容説明としては邦題が正しい。
もちろん邦題はクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』の便乗でもあるだろう*1。戦争協力を題材にしていることから同監督の『父親たちの星条旗*2も思わせる。
倒すべきドイツ兵の人格はほとんど描かれないし、強靭な精神と卓越した技量の主人公は戦場の危機をやりすごしていき、戦闘そのものはドラマにならない。映画の主軸となるのは、どのように米国を対独戦へ協力させるかという問題と、戦争によって主人公の超人性がゆらいでいく過程だ。


前半は、主人公の日常から狙撃手となっていくまでの日々と、優秀な狙撃手として戦争協力を求める使節になった時とを、カットバックしていく。
主人公は戦場にいない時こそ、いかにも軍人らしい堅物な態度をとってみせる。若者らしい楽しみを経験するのも、周囲にさそわれてのこと。女友達の兄に求婚されても、ふりきるように戦争へ身を投じる。共感を拒否するような人格だ。
ここで魅力的なのは周囲の人々、特に老人たち*3。大統領夫人をはじめ、大学の史学科の教官、求婚相手の両親、記者会見でソ連を批判する元ロシア人……包容力があったり、偏屈だったり、うろたえたり、怒りを向けたり、さまざまな老人の言動がリュドミラの人格を動かしていく。
特に映画の語り部もつとめる大統領夫人は、驚くほど魅力的に描かれている。包容力があって目配りもできて、語り口は優しくユーモアに満ちている。リュドミラを特別にホワイトハウスへ招いて、いっしょにロシア料理をつくる場面は、仲のいい祖母と孫のようでもある。


驚かされたのは、米国でのリュドミラの記者会見において、ソ連ポーランドフィンランドを侵略したことが追及されたこと。リュドミラは追求者がソ連の何を知っているのかと反発するが、追求者は元ロシア人という立場を明かす。それを見ていた大統領夫人が会見の打ちきりを宣言して、リュドミラをかばってやる。
リュドミラは答えられる立場にないので、この追及は尾をひかない。とはいえ、当時のソ連も侵略者であったと自覚する描写なこともたしかだ。同時に、リュドミラと大統領夫人の性格と関係をあらわす描写としても成立している。
この時期のこの題材のロシア映画であることから、もっと一方に肩入れする作品だろうと思っていたので、いっそう印象に残る一幕だった。


また、戦場の描写は後半にかたまっているが、それを目当てに見ても楽しめる密度はあった。
よく見る描写といえど、その幅は広く、かなり質も高い。たとえば予告映像でも確認できるが、船で撤退する場面の空襲は極めて良質なVFXで描かれている。ただCGの質感が良いだけでなく、船隊をすりぬけるようなカメラワークの迫真性や、黒煙や水飛沫で表現される戦場の実在感は、技術だけでない演出力もあることをうかがわせる。
狙撃の描写においても、弾丸の主観視点というゲーム的なものから、挿入歌を流す場面でのロシア映画らしいモンタージュ、さらに時間を圧縮する撮影手法「タイムラプス」の活用と、変化に富んでいる。水平線の位置やカメラの高さで世界の広がりを表現する教科書的な演出が、そうした変化球を支えている。


そうして自発的に戦場へ飛びこんだリュドミラだが、さまざまな苦しみを経験して戦争との距離が生まれていき、俗っぽい恋愛に身をゆだねていく。
しかし戦場に出られないと訴えた時、その能力と美名によって望まぬ位置に祭りあげられる。米国で堂々としたソ連軍人を演じながら、その時期になるとPTSDに苦しんでいたことも明らかにされていく。
日常においては戦争にのめりこみ、戦場で恋愛を経験して、超人から常人へと堕ちていく女性。構成する描写は戦争映画でよく見るものばかりだが、戦争との距離感が通常の戦争映画と逆転していることが興味深かった。
あくまで歴史的な英雄を中心にした娯楽作品だが、第二次世界大戦前後のソ連と米国を映した歴史映画としても楽しめる。意外な佳作だった。

*1:未見なので、作品内容の比較はできないが。

*2:『父親たちの星条旗』/『硫黄島からの手紙』 - 法華狼の日記

*3:働き盛りが戦場に送られる時代を象徴するように、30代から40代の人間が登場するのは戦場ばかり。