法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『翠星のガルガンティア』第10話 野望の島

レドは第1話で死んでおけば良かったのではないか。
そしてパイロットを失ったチェインバーだけが船団に拾われて、好奇心旺盛な少女エイミーかサーヤが暫定的なパイロットとして選ばれる、みたいな展開にすれば良かった。


ひどい提案だとは自覚しているが、第9話から第10話における感情描写を見て、そう感じざるをえなかった。
もともとレドは全体主義的な同盟によって幼くして軍人として育てられ、無感情なキャラクターとして設定されていたはずだ。事実、第4話くらいまではそういう描写でほぼ一貫できていた。不要な食欲や性欲も特に感じてはいなかった。機械のような軍人として余剰な行為は、笛をつくる習慣くらいだった。
しかし第5話でステレオタイプなゲイが描写された時、おびえて逃げ出すというこれまたステレオタイプな行動をとった。異性に興味を持たないキャラクターであれば、むしろ偏見を持たずに異なる文化の相手として接するだろうし、現代のフィクションとしてはそうすべきだった。全く偏見を持たないからこそ過剰に気にいられるというコメディ描写だってできたはずだ*1
そして第9話において、レドは人間を殺したことに衝撃を受け、その葛藤は第10話までつづく。どう考えてもおかしい。レドは第2話において、圧倒的に優位な状況で海賊を虐殺したではないか。


今回のような展開にするならば、ヒディアーズのような異生物ならレドは眉一つ動かさず虐殺するが、どのような状況でも人間に対してだけは傷つけることを忌避するよう訓練されている、と設定するべきだった。
その設定で第2話を描くならば、直接攻撃がまったくできないことから、圧倒的な戦力をもっていても窮地に立たされるような展開になるだろう。
先述したようにレドが第1話で死んでいる場合は、暫定的なパイロットが止めようとしても、チェインバーが勝手に海賊を虐殺したと描写すればいいだけ。


どうしても序盤のレドを軍人的に描いたまま、第9話以降の衝撃を描きたかったなら、人間の殺害を忌避するようになっていくさまを第9話までにじっくり描いておくべきだった。あるいは、企画段階の予定では2クール以上の作品で、そうした経過を描く予定だったのかもしれない。
開示された根幹設定には得心できたし、その構図から逆算的にこれまでの物語が描かれてきたこともわかって見通しがよくなった。第10話から、より悪趣味な展開へ移行しつつあることも、主導している青年ピニオンの稚拙と裏腹な決断力は何度も描かれてきたから、理解はできる。対立する船団員の意識も、台詞にたよりつつも説明されているから、それほど違和感はない。
周辺の設定や人物描写は、充分ていねいに作られている。だから船団設定とは逆に、中心にいる主人公の性格がぶれているという一点が気になった。

*1:この話題は、少し前にコメント欄でやりとりしたことがある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130527/1369670732