法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「鐘とか誤魔化すな」「今どきターザンはない」「ポカホンタス病」「せいぜいムーラン」「アwトランwwティスwww」とか思うことってあるよね

前回の返答エントリ*1に気づいていないのかもしれないと思ってidコールするついでに、id:NaokiTakahashi氏に少しだけ。
魔王勇者批判記事 http://blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1159496.html に関する高橋さん - Togetter

>コードギアスとかデスノートとかハガレンとかの作品と比較し、まおゆうに比べてそれらがいかに巧みに、自分たちがイデオロギーにならないよう防いでいるかを書きたいと思う。物語の表面だけ見て「そういう作品と同じじゃん」と言う態度があまりに多いからね……<やってみろやw無理だと思うけどな。
NaokiTakahashi
2010-05-23 06:35:53

表現が現実や思想の一部を切り取ったものである以上、どこかの観点を切り捨てなければならず、政治的な正しさを完全に獲得した作品は存在しないと思う。しかし政治的な正しさへの配慮を行っている程度を相対的に評価することくらい、できるはずだろうとも考える*2。エクスキューズの巧拙といわれればそれまでかもしれないが。
たとえば劇映画である『アバター』が『ポカホンタス』との相似から批判されていることから考えれば、「まおゆう」序盤から示され続けた「アイアンマウンテン報告」的な世界観に反発する人が出てくることも、予想されてしかるべきだったと思う。もちろん魔王が嘘の可能性を提示したりもしていたが*3、それを口頭でにおわせつつ即座に否定したためエクスキューズとしてうまくない。
世界観に最後まで違和感が残るのは、形式の制約も大きいと思う。基本的に地の文で世界観を示すことができず、作中人物の認識や見解、それも多くを口頭にのぼらせながらで世界を形作らなければならなかった。他の例でたとえるなら、冤罪を批判する名探偵の多くが、作中の警察以上に直感と不法な証拠収集に依存しているような、物語形式と結びついた問題。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100520/1274413793

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100518/1274193406のコメント欄でも書いたが、いずれ何らかのエントリにまとめたい。

*3:1スレ目36番。