法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

おそらく『ザ・コーヴ』にドキュメンタリー映画としての問題はない

アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画ザ・コーヴ』に対して、まだ日本公開もされていない段階から複数の批判が行われている。しかしながら、同じ未見の立場からしても見当違いな批判が散見されるので、いくつかの論点で簡単な説明を試みたい。
もちろん報道された範囲で批判することは自由だ。制作者の発言へ反論することも自由だ。しかし、実際の制作者や映画とは明らかに異なる虚像を批判しても、反論として成り立たないだろう。ドキュメンタリーというジャンル自体への無理解による批判にいたっては、『ザ・コーヴ』一作品にとどまらない問題ではないだろうか。


まず、『ザ・コーヴ』自体の話へ入る前に、アカデミー賞受賞に関して少し。報道によれば、太地町公民館の宇佐川彰男館長は「これで、アカデミー賞の名声も地に落ちた」と述べたという*1
しかし、そもそもアカデミー賞はハリウッドの内輪で行うイベントとしての性質も強い。ハリウッドの規模が大きく他国への影響も多大なために勘違いされやすいが、必ずしも映画自体の質が充分に評価されるとは言いがたい賞なのだ*2
映画評論家、町山智浩氏の『ザ・コーヴ』評で、興味深いくだりがある。
イルカ漁告発映画『The Cove』と『わんぱくフリッパー』 | 町山智浩 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 しかし『コーヴ』は、社会派ドキュメンタリーによくあるような自分たちの主張のレクチャーだけに終わらない。映画としてけっこう面白いのだ。

 そこで撮影隊は隠しカメラで撮ることに決める。ハリウッドの特撮用小道具を作る職人に依頼して、カメラを隠すニセの石や木を作ってもらう。カメラは遠隔操作で動かす。それを仕掛けるために、タイペイの世界一高い高層ビルを登頂した冒険家を雇う。また、イルカの悲鳴を録音する水中マイクの設置には、素潜りの世界記録を持つ夫婦が参加する。彼らは深夜、軍事用の暗視ゴーグルを使って、闇にまぎれて入り江に侵入する。この過程はまるで『ミッション・インポッシブル』だ。

実際にアカデミー賞に選ばれた際も、上記のような娯楽性が高く評価された。さらに「ハリウッドの特撮用小道具を作る職人」が動員されたとあっては、内輪が参加し活躍した描写が高評価に繋がったのでは、とうがちたくなる。
もちろんハリウッドのニューエイジに対する親和性も背景としてあるだろう。たとえばチベットに対するハリウッドからの支援は、チベット仏教への誤解などから見ても、必ずしも人権意識の高さだけを理由とするものではない*3
今回が特別に不可思議な受賞というわけではないし、やたら内容以外の基準が厳しい*4アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を取っただけで、ドキュメンタリーとしての価値が不動のものになったと身構える必要もないだろう。


さて、映画自体は未見なので報道されている範囲での話になるが、まずは制作者の話から始めよう。
映画に対して文化の多様性を尊重するべきという批判が目立つが、報道からうかがう限り、制作者に単純な人種差別や文化差別は見当たらない。「人間とイルカの接点」をテーマに取材を続けてきたというジャーナリスト坂野正人氏によると、「映画は単にイルカ漁に反対するだけでなく、イルカ肉の危険性や国際捕鯨委員会(IWC)の在り方なども問題提起している」*5そうで、単純に日本のみを俎上にしているわけではないらしい。
米国人経営の高級寿司店が鯨肉を違法に出していると映画スタッフが主張し、米国当局に通報までしたことも一部で報じられている。AFP通信によると、鯨肉を出したという寿司店は検察当局から訴追された上、寿司店側も自主的に閉店することを決定したという。
鯨肉提供の高級すし店が閉店、米カリフォルニア州 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 日本のイルカ漁を批判した内容で、今年のアカデミー賞(Academy Awards)の長編ドキュメンタリー賞を受賞した米映画『ザ・コーヴ(The Cove)』の中に、このすし店がイワシクジラの肉を出していることが登場していた。この映画の制作スタッフが当局へ通報した。

ザ・コーヴ」を監督したルイ・シホヨス(Louie Psihoyos)氏は数か月をかけて、このすし店が鯨肉を提供している証拠を集めた。時には普通の客を装わせて、スタッフを店に送り込む「奇襲」も行った。スタッフたちは小型カメラで出された鯨肉を撮影したほか、鯨肉をネタにしたすしを隠して持ち帰り、研究所に鑑定を依頼した。その結果、イワシクジラの肉であることが判明した。(c)AFP

この記事から判断すれば、ザ・コーヴ』は日本の一漁師町を攻撃対象にしているわけではなく、米国検察局を動かして批判対象すら受け入れるほど妥当な告発描写も存在したといえる。一部の妥当性が全体の妥当性を担保できるとまではいえないが、これならば全く無価値な映画だったともいいがたい。そして少なくとも、映画が日本だけを批判しているという考えは大きな誤りだ。


次に、制作者の発言に目を向けてみよう。
ルイ・シホヨス監督は、アカデミー賞の受賞スピーチで「日本たたきの映画ではない」と語り、受賞後の記者会見でも「私に言わせれば、これは日本人へのラブレターだ」*6と明言していた。映画の関連著作を書き撮影にもかかわった活動家ハンス・ピーター・ロス氏にいたっては、下記のような発言まで行っている。
米映画『ザ・コーヴ』、アカデミー賞受賞に太地町反発 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

 イルカ漁は長年の伝統だとの太地町側の主張について、ロス氏は「伝統文化のなかには正しくないものもある。文化についていえば、スイスの伝統文化ではかつて、女性に参政権はなかった。しかし、それは明らかによい伝統ではない」と否定的な見方を示し、「欧米人も動物にひどい扱いをしている」と付け加えた。スイスで活動するロス氏は以前、牛や豚が食肉用に殺される様子を描いた映画を撮っている。

少なくとも制作者は自らが所属する文化圏もふくめて残すべきか否かという論点へ踏みこんでいる。説得力がある反論をしたいならば、単なる文化の多様性や、文化の尊重を要求するよりも、深く強い主張を行わなければならない。


そして上記で説明されたように、ロス氏は食肉用に牛や豚が殺される映画を撮っていた。つまり、イルカだけ特別に重要視しているという単純な批判は、制作者に通用しないことが明らかだ。
サイゾーのシホヨス監督インタビューでも、牛や豚に言及したやりとりがある。
『ザ・コーヴ』狂想曲 海外メディア・関係者・監督を直撃!(後編)|日刊サイゾー

監督 86年に屠殺場を見た経験から牛や豚を食べられなくなった。妻や子どもには食べるなとは言わないし、日本人にもそれを要求しない。

――牛や豚に興味がないのは彼らの知能が低いからか?

監督 興味も関心もあるが、我々は海洋問題を考える団体。分野が異なる。

ここでのシホヤス監督発言は、簡単に批判できるものではない。
語ったこと、もしくは語るべきではない意思を表明したことに対してならば、責任が発生する。しかし、語っていないことに対して責任を負わせることはできない。有限の時間しか持てない人が、全ての問題に対して全て対処することなどできないからだ。同じ程度に重要と思うことでも、一部しか対処できないことはある。事実の断片を切り取るドキュメンタリー映画ならばなおさらだ。異なる観点の導入を求めることも自由だが、その要求に制作者が応じる義務はない。
一つの主題を持ったドキュメンタリー映画が、他の主題にも言及しなければならないという意見が出てくるのは、ドキュメンタリーとニュースの区別がついていないためかもしれない。ドキュメンタリーは制作者個々の意図が乗せられた作品であり、様々な総合的情報が要求される報道番組とは違うのだ。
以前に、ドキュメンタリー映画靖国YASUKUNI』が偏向しているとして攻撃されたことがある。しかし実際に見てみると、ナレーションやテロップもほとんどなく、多くの光景を長回しで撮影しており、むしろ他の映画監督から資料映像の羅列を「稚拙」と批判されるほど*7、監督個人の主張が薄い作品だった。ドキュメンタリー映画は根本的に中立ではありえない作品ということを理解できない人が多かったからこそ、激しい攻撃をあびたのだろう。
もちろん『靖国YASUKUNI』もドキュメンタリー映画であり、どれだけ長回しであろうとも制作者の意図は介在している。特定の事件を撮影し、編集するだけでも制作者の意図が入るのだ。それどころか定点観測で機械的に撮影してさえも、小学校前、ゲームセンター内、トイレの中、工場の排水溝、それぞれ場所の選定で制作者の意図が大きく関わってくる。中立なドキュメンタリーというものは原理的に存在しないのだ。


もちろん、イルカと牛や豚とを差別化する具体的な根拠がなければ、監督の態度が矛盾しているという批判はできる*8
そこで、映画で言及され、シホヤス監督インタビューでも頻出する水銀の蓄積について書いていこう。食物連鎖によって濃縮される水銀の危険性については、まだ科学的に判断しがたい部分もあるのだが、報道されている範囲からも語れることはある。
まず、高濃度の水銀が危険という考えで食べる魚を選んでいることを、前述の『サイゾー』インタビューで監督は明言している。

監督 私が食べている魚はサーディン(マイワシ類に属する小魚の総称)などの非常に小さく短命な魚。食物連鎖では下位にいる魚だ。長く生きる魚には食物連鎖の中で水銀が貯まる。

食物連鎖によってイルカやマグロに水銀が濃縮されること自体は事実だ。そしてシホヤス監督が食べるという小さな魚や、草食の牛や豚には水銀濃度が低いことも事実だ。少なくとも、監督はイルカと他の食肉を差別化する具体的な根拠を出し、それに従って行動しているといえる。その根拠があることは前提として批判するべきだろう。
もちろん、一般論として水銀が濃縮しているとして、差別化をせまられるほどの危険性があるか、そうでなくてもドキュメンタリー映画として主張するほどの問題といえるかは異なる。食物から危険性を全て排除することは、事実上不可能といっていい。人間が生活を送るには一定の危険を組み込み選択していくしかないのだ。
しかし、シネマトゥデイの監督インタビューに下記のような記述があった。
衝撃の告発映画!日本人がイルカを大量に捕獲!食用として学校給食に!水銀量は16倍! - シネマトゥデイ

 規定値の16倍を超える水銀が含まれるイルカの肉を、太地町の学校で給食として提供されていたことがあった。「太地町の町議会議員も驚いていたが、これは非常に重要な問題さ。学校の子どもはもちろん、妊婦がスーパーなどでイルカの肉を買って食べてしまったら大変なことになるだろう? 現在は、太地町コミッショナー3人が決議して、完全にイルカの肉を太地町の学校に出回らないようにしたらしいが、決議したコミッショナーの一人は、子どもが村八分のような状態になってしまい、町を出なければならない状況になってしまったらしいね」。

シネマトゥデイは映画専門サイトであり、科学的な争点について裏が取れているか信用しがたいところもある。そこで簡単に調べてみると、JAPANTIMESの報道記事が見つかった*9。偶然かもしれないが、2007年は、ちょうど『ザ・コーヴ』が太地町で撮影された時期だ。国内では、学校給食ニュースというサイトがJAPANTIMES記事と議員ブログを紹介する形で伝えているが*10、あまり広く報道されてはいない。
問題を訴えた議員ブログを見ると、より細かい数値が出されている。分析を依頼されたのは厚生労働省登録検査機関だそうで、おそらく相応の科学的な根拠もあるのだろう。
http://park.geocities.yahoo.co.jp/gl/mikumanoseikeijuku/view/20070703

 今年3月の議会において、昨年の10月に地元のくじら・イルカ追込組合から提供されたゴンドウくじらの肉150kgが町内の幼稚園・小学校・中学校の学校給食に使われていたことが分かり、日ごろから地元のくじら・イルカの安全性に疑問を持つ私たちは、今年5月から6月にかけて地元で捕獲されたゴンドウくじらの肉を厚生労働省登録検査機関に分析を依頼、その結果にもとづき山下順一郎が町当局に安全性の考え方を質問しました。

 分析結果はいずれも厚生労働省が定める暫定規制値を総水銀10〜16倍、メチル水銀10倍〜12倍、PCBも腹肉が規制値の0.5ppmを超える0.66ppmという数値が出ました。これらの肉は地元漁協スーパーと大手スーパーチェーン店で市販されていた肉でありました。

上記の給食問題は、あくまで3年前の出来事であり、現状では改善されているかもしれない。
しかし今年に入っても、太地町における水銀の危険性をうかがわせる調査を朝日新聞が伝えていた。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201001220030.html

 「捕鯨の町」として知られる和歌山県太地町で、鯨肉を食べる住民の毛髪から日本人平均の10倍を超える水銀が検出され、一部で世界保健機関(WHO)の安全基準を超えていることが分かった。北海道医療大などが住民50人を調べた。鯨肉の水銀汚染は国内外で報告されており、長期間、食べ続けたことで、人体に蓄積された可能性が高い。環境省も全町民を対象に健康への影響がないか、調査中だ。

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201001220030_01.html

 太地町で売られていた小型鯨コビレゴンドウ22検体の平均は9.6ppmで、国が流通させないよう求める魚介類の規制値の20倍以上だった。

 太地町民の健康調査をしている環境省国立水俣病総合研究センターの岡本浩二所長の話 データが少ない現段階で、直ちに鯨肉の摂取を禁止する必要はないだろう。水俣病を発症した患者の毛髪水銀濃度は100〜700ppm程度という調査があり、今回の調査対象の方はそれより、かなり低い。我々はいま、太地町の町民に対して、皮膚の痛覚や触覚などの感覚に障害が出ていないか調査中だ。早ければ今春にも結果をまとめたい。循環器系への調査も検討し、鯨肉などに含まれる水銀による健康への影響を科学的に明らかにしたい。

 立川涼愛媛県環境創造センター所長(環境化学)の話 鯨やマグロなどを食べ続ければ、水銀が蓄積され、その濃度が高くなることはあり得る。今回、調査を受けた住民に震えなどの異常がないなら、直ちに危険とはいえない。水銀には複数の種類があり、水俣病など神経障害を起こすメチル水銀が蓄積しているか、詳しく調べる必要がある。毛髪の水銀濃度が高ければ、継続して注意していくべきだろう。

専門家2人の意見によれば、ただちに危険とはいえない、ということは注意しておきたい。しかし同時に、『ザ・コーヴ』が主張している水銀の危険性が、それなりの根拠を持っていることも確かなようだ。危険性については今後も調査を続けるとして、現時点でも朝日新聞が報じているように、情報として伝えるだけの価値はあるのではないだろうか*11
また、別の情報として、イルカ肉が鯨肉と偽って流通しているという主張も映画にあるという。こちらは7年ほど昔の厚生労働省調査がある。水銀の蓄積についても調査されている。
鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について*12

 鯨製品の店頭展示品の大半が鯨種及び産地が十分に明記されておらず、全鯨製品の60−75%が鯨種名の表示がない。また、全体のおよそ10%程度が誤った鯨種名が表示されており、正しい鯨種が表記されたラベルは16−25%にすぎない。

やや古い情報であることも否めないが、特定の時期に一定の食品名偽装があったことは厚生労働省も認めているようだ。もっとも、良くも悪くも食品偽装は他の魚介類でも見られるので、流通過程や需要量主張への批判にはなるとしても、イルカ肉を食すことの根本的な問題とは少し違うと思うが。


さて、ここまで制作者側が主張した背景を簡単に書いてわけだが、これは制作者の主張が正当性あるということと同一ではない。
イルカと牛や豚を差別化する具体的な根拠があったとしても、逆に観客までが必ず受け入れなければならないとは限らない。危険が高い食品ですら、嗜好品として個々人の責任で楽しむ自由もある*13
情報を公開することで科学的には問題がなくても感情的な反発を招く問題があることも理解はできる。ここで私個人の話をすれば、水産関係の仕事を身近で見た経験もあり、見映えのいい作業ばかりではないと承知しているつもりだ。感情移入を誘う大型の動物を捕獲したり屠殺したりする光景を隠したい心情も想像できる。
撮影対象との衝突はドキュメンタリーにとってつきものではあるが、報道されているように「虐殺」や「ジャパニーズマフィア」という表現まで選んでいるならば、反発されるのも当然と制作者は覚悟するべきだ。いや、そもそも表現とは暴力的なものであるのだが……
http://diamond.jp/series/mori/10020/?page=3*14

 最近暴走しているもうひとつの加算はモザイク。つい数日前、たまたま付けたテレビのチャンネルで、昔の歌謡番組の映像を流していた。チャンネルを変えようとした僕は、リモコンを持つ手を思わず止めた。カメラが客席を向いたその瞬間、画面いっぱいにモザイクが現れたからだ。

 昔はそのまま放送した映像のはずだ。でも今は当たり前のように画面いっぱいのモザイク。この処理を施したディレクターか命じたプロデューサーは、個人情報とか人権とか肖像権とか、そんな気遣いをしたつもりなのだろうか。もしも仮にそうならば(そうとしか思えないけれど)、違う仕事を探しなさいと僕は言いたい。表現は人を加害する。開き直れという意味ではなく、その覚悟をしなくてはならない。個人情報だの肖像権だのを優先するならば、表現を仕事に選ぶべきではない。

上記の森達也監督による主張はドキュメンタリー作家という立場からの発言であって、むしろ撮影対象が表現で必然的に傷つくという指摘だ。
さらに、冒頭で紹介した町山氏も指摘するように、イルカの知能が特筆して高いという主張も眉唾だ*15ニューエイジ思想の誤りが現在まで伝播していると見るべきだろう。
しかも、実際に映画を見たumikarahajimaru氏の評によると、告発的なドキュメンタリーと報じられてきた『ザ・コーヴ』だが、実際には具体的な描写が少ないという。
映画『ザ・コーヴ』のこと。 海から始まる!?/ウェブリブログ

 これだけ見ると、へえ〜、そうなのか、そういう告発もののドキュメンタリー映画なのかと思われるかもしれませんが、ことはそんなに単純で白黒のはっきりしたものではありません。

 というのは、上記の事柄に対し、事実の裏づけというか、証拠らしい証拠がまるで挙げられていなくて(具体的な映像で証拠を示すべきところをほとんどアニメーションやナレーションで済ましてしまっているので)、どこまでが本当でどこまでがでっちあげなのか、この映画を観ている限りではさっぱりわからないからです。

先述したように、ドキュメンタリーは調査報道と同一ではない。再現映像を用いることも、啓発のためにイメージシーンを描写することもある。カメラなど存在しない時代を描くには、再現映像を使うしかない。
その意味において、具体的な告発描写が存在しないからといって『ザ・コーヴ』がドキュメンタリー映画というジャンルに位置づけられることに問題はない。ただ、ドキュメンタリー映画であるということと、内容に真実性があることは別というだけだ。巷間の評を見る限り、情緒に訴えかける娯楽面ではすぐれていても、真に困難な告発を行った問題作ではないように思えてくるが、未見である今は映画内容へ言及するのはやめておこう。下記のシネマオンライン記事のように、『ザ・コーヴ』を高評価する意見もあるのだ。
http://www.cinemaonline.jp/review/bei/9267.html

この映画の中ではイルカ漁が良いか悪いかは決して言わない。それゆえ製作者の意向は明確だが、観る者に100%意見を委ねた作品と言えるだろ。

しかしながら、世界を見た場合、伝統を守りたいという気持ちも、イルカを救いたいという思いも理解したいため、ほとんどの人は極端な意見を持たない。この映画はそのどちらとも言えない人々にとって考える機会を与える映画である。

いずれにせよ、ドキュメンタリーとは、作家の主観によって事実の断片を切り取ったものにすぎない。描かれている内容が事実でも、それゆえに観客は全てを受け入れるべきではない。他の様々な情報と同じように、単純に真実か虚偽の二元論で理解できるものではなく、咀嚼する力が常に試されるのだ。


最後に、日本の漁業と直接の関係がないため軽視されがちな観点だが、『わんぱくフリッパー』で活躍したイルカ調教師リチャード・オバリーの悔恨は、普遍性ある問題提起ではないかと思っている。動物の愛らしさを映した作品が、制作において動物を虐げているという問題だけではない。あらゆる表現が現実に与える影響について、繋がってくる観点ではないかと考える。
イルカ漁告発映画『The Cove』と『わんぱくフリッパー』 | 町山智浩 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

『わんぱくフリッパー』はフリッパーというイルカと少年の友情と冒険を描いたTVドラマで、イルカの賢さ、可愛さ、忠実さはこの番組から世界に知られるようになった。「しかし、『フリッパー』が原因で世界中でイルカ・ショーが始まり、イルカが捕獲されるようになったのだ」とオバリーは自分を責める。

たとえばアニメ『あらいぐまラスカル』の影響でペットとして流行したアライグマが野生化し、日本の生態系を壊しているという問題は有名だ。マンガ『動物のお医者さん』でシベリアンハスキーが流行した時、名前の通り寒冷地に適した犬種であり、緯度の低い日本で飼育するには注意が必要だった*16。日本においても身近かつ解決が難しい問題なのだ。
そして、いうまでもないが表現が現実をむしばむ問題は『ザ・コーヴ』自体も問われる立場にある。オバリー氏の立ち位置が真に『わんぱくフリッパー』の反省によるものか、注視してみたい。

*1:http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2707337/5461687

*2:そうでなければ『2001年宇宙の旅』が視覚効果賞しか取っていない理由がわからない……というSFジョークがある。

*3:人への抑圧と捕鯨が同次元の問題という話ではない。あくまで、文化的心情的な背景として通じている、という話。

*4:上映形態等のノミネート条件が、他のアカデミー賞よりさらに多い。

*5:http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100309-OHT1T00034.htm

*6:http://www.asahi.com/culture/update/0308/TKY201003080350.html

*7:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090610/1244761421

*8:先述したように、具体的な根拠がなくても、個人の思想で扱いを変えることもまた批判しにくいが。ちなみに私個人の意見をいうならば、持続可能な資源という観点から見て、食物連鎖の頂点に近いイルカと人間が管理する畜産を同列に扱えるはずがない。しかし制作側発言で資源の持続について言及した発言は見当たらないので、この考えはエントリから排しておく。

*9:http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070904a3.html

*10:http://gakkyu-news.net/jp/070/079/post_289.html

*11:映画の伝える手法は扇情的で逆効果、といった批判があるかもしれないが、映画を未見なので判断は保留させてもらう。

*12:http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100308/p1コメント欄の、mark55氏から教示いただいた。他の方もふくめ、様々なコメントをエントリの参考にさせてもらった。

*13:一応、シホヤス監督も各インタビューで情報を伝えたいという意図を語っており、選択は観客に任せていると見ることもできるが。

*14:この森達也監督の連載は、ドキュメンタリー作家という立ち位置からの、ドキュメンタリーへの固定観念を否定する内容が多い。ドキュメンタリーが主観であるということの意味もくりかえし語られているので、私の説明に納得できなかった人は、ぜひ目を通してほしい。

*15:動物愛護法が日本にも存在するように、一定の知性を持つ動物に対し、ことさら残虐にふるまうことを批判する意見も、それはそれで存在していいと思うが、今の私は積極的に賛同する気がない。

*16:マンガ自体は北海道を舞台としており、考証的な問題はない。