法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

plummet氏らしい切断処理

仄めかして責任を回避する態度は卑怯という意見を扱ったエントリに対して、こういう具体性がないコメントをつけてしまうのは、どういう心象からだろうか。
だいたいplummet氏に対するコメントとしては初めての内容もふくんでいたのに、何が続いているつもりと読み取ったのか。
はてなブックマーク - 「誤読」の責任が誤読した側にない場合もあるが - 法華狼の日記

plummet |Д゚)ジー, 教祖様が見てる まだ続いているつもりなのか。気の毒なことだ。 2010/01/10

まず、id:plummet氏が何らかの話を終わらせたがることを、私は一度として否定していない。意見に返答しないことも個々人の自由と以前に明言している*1
しかし、撤回や削除していない意見については、表明され続けていると解釈すべきだろうし、言及や批判することも自由のはずだ。第三者への意見に対し、を終わった話題と主張した上、あたかも意見が継続することに問題があるかのような口調を選ぶ神経が理解できない。ネタで教祖ごっこを続けているうちに、そのふるまいをベタに身につけてしまったのだろうか。


また、在特会の暴力事件に対してplummet氏がとった態度については、確かに話が終わっているかもしれない。自身が張ったレッテルについて、証しを立てる意識も根拠も能力もplummet氏が持ち合わせていないことは、かなり初期からplummet氏自身の発言で明らかとなっている。ことさら批判する必要性は、確かに薄いかもしれない。
しかし、私は話が続いていないと成り立たない文章を書いているわけでもないので、plummet氏へうかがいをたてる必要はないはずだ。


そもそもplummet氏の主体はどこにある。
終わらせたい話題であれば、自分の立場にとって終わった話題であると主張するべきだろう。その具体的な説明さえいっさいせず、他人事のように表現するのは、自身の問題を切断処理する態度でしかないのではないか。
もっとも、批判された自身の発言を切断処理することは、plummet氏の常套手段なのかもしれないが。表現が誤解を招くという意見への反論として言葉の短さに起因と主張したこと*2や、信用を表明した意見を批判されると紹介しただけという嘘をついたこと*3は、今も印象深く記憶に残っている。
在特会を、在特会への批判者を、そして自分自身を切断処理して、見る能力にすら欠けるplummet氏は、どこまで空虚な存在になっていくのだろうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091021/1256171538「難癖だと思って返答しないのは自由だ」。plummet氏はブックマークでコメントをつけているのだから、読んでいないわけはないだろう。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091021/1256170727文字数がどうであれ、表現選択はplummet氏の自由なはずだ。なおplummet氏のことではないが、誤解を招いた責任を引き受けた上で文字数を原因と説明することや、原因を作りながら責任を否認すること自体は、必ずしも誤りとはいえない。

*3:JSF氏は「紹介した」という批判の表面しか見なかったためか、「紹介した」だけか否かで私が評価を変えていることに、最後まで気づかなかったようだ。そうでなければ擁護したか否かではなく真に紹介しただけか否かで反論を試みたはず。http://obiekt.seesaa.net/article/129750678.html通りすがりの暇人氏にいたっては、plummet氏が信用を表明していることを指摘され「通りすがりの暇人さんの論理に従えば、plummet氏には常識がないという結論がほの見えます」という問いへ「俺はそれでもいい」と答える結果となっている。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091008/1255045901