読者や視聴者が『坂の上の雲』を批判したり、要望をしたりすることは自由であるべきだが、出版差し止めだの制作への圧力となってはならない。
司馬遼太郎の記述は、あくまで小説家の語る歴史観であり、当人がフィクションではないと主張していても、本来なら話半分に聞くべきところ。現行の歴史学に対抗できる史観として持ち上げた自由主義史観者らにこそ問題がある*1。
ただ、ずっと以前に+α氏が日露戦争開戦理由は自国防衛のためだけであったという主張を批判していたので、紹介しておく。フィクションの枠を超えて日露戦争に言及するならば、知っておいてほしい話だ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/5nitirosensou.htm*2
藤岡氏はなにかというと司馬遼太郎さんが書かれた小説「坂の上の雲」をもちだして、祖国防衛戦争であった、と強調しますが、「坂の上の雲」はあくまで小説であり、ましてや主人公が秋山好古・真之兄弟という陸海軍の中枢軍人であることから、日本の自国防衛戦争だったという面を強く出さざるをえないのです。従って、「坂の上の雲」の祖国防衛戦争という描き方をもって日露戦争の定義、とすることは誤りです。
「坂の上の雲」の描き方は、日露戦争がもつ性格の一面を見事に表してはいますが、日露戦争のすべての性格を表しているわけではありません。
朝鮮国は我利益線の範囲内に在るを以て如何なる困難も之を排斥して我帝国の利益を維持拡充せさる可らす(中略)第一露国か韓国の馬山浦巨済島若くは其他に於て戦艦停泊所若くは堡城に給する地域を占領し又は借用せんと企図して朝鮮政府を脅迫するか又は其目的を実行せんとする手段に出て我が自衛上打棄て置くこと能はさる(後略。変なところできってしまってすみませんが、この後まだ長く続くので・・)
(大山梓編「山県有朋意見書」原書房)
*旧字体は新字体に改めた。かっこ内は引用者による。これは山縣有朋の意見書ですが、前半が朝鮮における日本の利益の主張になっており、後半でロシアの脅威に対しての日本の防衛について述べているのが読みとれます。
また、当時の日露開戦についての新聞記事の内容を見てみますと、ロシアと戦争をする理由として、山縣が述べたような経済的理由と軍事的理由の二点がやはり、あげられています。
つまり、これらの史料から言えることは、日露戦争には少なくとも二つの意味があったということです。極東におけるロシアと日本の利害の対立による戦争(帝国主義戦争)、ロシアが極東に脅威を及ぼしていることに対する純軍事的理由による戦争(祖国防衛戦争)、です。
複数の史料が、日露戦争について二つの意味を示している以上、どちらか一方だけを考えることは片手落ちになります。藤岡氏の意見は一方側からしかみていないのです。従って、偏った意見であり正確ではありません。
この批判で重要なのは、自国防衛という開戦動機を後世の視点で批判しているわけではいこと。当時の大日本帝国の視点でさえ、他国の権益を得ることが開戦動機の一つだったわけだ。
もちろん、当時の視点では防衛という開戦動機も主張されていたわけだが、その是非を論じる以前の話として、注意しておく。