法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『電脳コイル』を見続けるにあたって

ネットをめぐって感じるのが、何が現実で何が仮想か区別できないという感想の多さ。
とりあえず電脳メガネで仮想物質・仮想生物を視覚化できることはナレーションで明らかなものの、2話でイサコの電脳ペットに攻撃された京子(主人公妹)の腕がノイズになった。人間も仮想なのか、あるいは攻撃を受けたという情報を視覚化したものか、今は区別できない*1
他にも電脳ペット等に人間は触れず、電脳メガネをしていなければ見ることすらないのに、電脳上の壁を避けたりしている点も不思議に思われているようだ*2


いくつかの考証はできるし、補完も可能だが、本編が進行するにしたがって齟齬が生まれる可能性は高い。
そこで、単純に何を作品世界の基準として見ればいいかだけ考えてみる。ようするに、何が作品世界の日常で何が非日常か?……となると、この基準は冒頭のナレーションも担当する主人公のヤサコと考えるのが普通だ。ヤサコが知っていることがコイル世界全体の日常であり、ヤサコが知らずフミエが知っていることが大黒市つまり作品舞台の日常、そしてヤサコが知らずフミエも話でしか知らないことがコイル世界の非日常というわけ。電脳世界の物をつかんだり持ち上げたりといった動作は、謎として提起されているわけではないのだから“そういう設定”としてとらえるべきなのだ*3
不思議に思う人が多いのは、仮想と現実が重なり合っているというSFジャンルだから戸惑っているだけなのかもしれない。たとえば、他ジャンルのSFで、宇宙に人々が居住しているのが当たり前な世界*4なら、主人公は宇宙で日常をすごしている自分を疑問に思う必要はない。読み手や観客も、宇宙に人間が進出していった過程を描写しなければ話が理解できないなどと文句はいわないだろう。ちょっとしたナレーションか字幕説明でもあれば充分だ。そして作品舞台が宇宙に見せかけた核シェルターという描写があって主人公が驚けば、そこが観客も驚くべき所とわかる。
主人公ヤサコの視点で物語を見返せば、説明不足な点はほとんどない。作中の日常でありえる出来事には説明台詞が使われず*5、非日常なことのみに質問や台詞による説明がある。何を語って何を語らないかがはっきりしているから、疑問をおぼえることがあっても展開に不自然さを感じることはあまりない。

*1:攻撃を視覚化しているとして、それが実際に電脳メガネの障害となっているか、あるいは仮想空間上のルールなのかも区別できない。

*2:ただこれは、電脳メガネが電脳上の障害を認識し、わざわざ障害を再現するような機能がついていると考えれば不思議ではない。類例として、セキュリティーシステムに電脳メガネを壊されないように逃げる描写は1話からある。

*3:長々と書いたわりに、平凡な結論ということは自覚している。

*4:アニメなら『機動戦士ガンダム』等が有名だろう。

*5:デンスケがペットになった来歴なども回想イメージのみで処理されている。