法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『魔法つかいプリキュア!』第25話 夏だ!海だ!大はしゃぎ!かき氷が食べた〜いっ!

友人といっしょに海へきた主人公たち。ことはは魔法をつかってみらいとリコに麦わら帽子をプレゼント。
みらいとリコは魔法が人に見つからないよう教えるが、ことはは見つからずに魔法を使えばいいと解釈してしまう……


かつてのような自主規制はまったくなく、自由に海で遊ぶ姿が描かれる。作画監督は第1話と第8話を担当した松浦仁美と、他社仕事が多かった伊藤公崇で、なかなか画面が華やかだった。
アクションも充実していて、板岡錦らしいミサイル攻撃など見ばえする攻撃が楽しめる。ことはが敵の作戦でひとりになり、対象をしぼりこめたのが良かったのだろう。閉じこめられた洞穴から救われ*1、空中に飛び出す解放感もなかなかのもの。
前回につづいて、狂信の域に達したヤモーの姿も、哀れなものを感じる。もともと小動物が擬人化されたものだが、このまま浄化せず、何らかのかたちで人格を残してほしいとすら思った。


しかし肝心の、日常パートの中心となるコメディが、どうにも好みにあわなかった。子供が思いちがいして好き勝手して主人公がふりまわされるという展開にはストレスばかりたまる。
大人ならば子供の試行錯誤を暖かく見守るべきかもしれないし、実際に幼い視聴者といっしょに観ている親世代の大半は共感をもって楽しんでいるのかもしれない。しかし私が子供のころは、こういう展開がもっと嫌いだった記憶がある。みらいたち、ことは、どちらの視点で幼い視聴者は見ているだろうか。
ことはを暴走させたままにするため、みらいとリコがしりぬぐいするだけで説明しなおさないのも疑問。ちゃんと注意しようとして、ことはを見失うという描写を徹底するだけでいいところなのに。

*1:救う側のプリキュアがすでに変身した状態であらわれる展開ともども『ふたりはプリキュア』第17話を思いだした。