法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ザ・ファイト 〜拳に込めたプライド〜』

現時点で世界ヘビー級王者になった唯一のドイツ人ボクサー、マックス・シュメリング。その国民的英雄は第二次世界大戦において、なぜか広報戦略に使われることなく、落下傘部隊で消耗をしいられていた。
マックスは敵兵に対して、自身の試合が国家のプロパガンダに組みこまれた流れを語っていく。それは国家に余計な重責を負わされながら、ひとりのスポーツマンとして誇り高くあろうとした、純粋な男の戦いの日々。
マネージャーはユダヤ人で、妻はチェコ人の女優。しかし世界王者の美名からアーリア人の象徴とみなされ、勝利することを義務づけられる。シュメリングが誇りをつらぬくためには、嫌悪しているナチスを利用するしかなかった。
やがて戦争は終わるが、ナチスドイツの広報塔とみなされたマックスは、さらなる苦難に直面していく……


以前にもGYAO!で配信されていたが、今回は10月25日まで無料。ほぼ史実に忠実かつ娯楽的な劇映画として、見て損はない。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00938/v00101/
ウーヴェ・ボル監督による、2010年のドイツ映画。2005年まで存命だった世界王者が、第二次世界大戦前後にたどった数奇な運命を、約2時間の尺で過不足なく描いた。
ラジー賞の常連なのに、なぜか社会派な題材では適度に刺激的でバランスが取れているボル監督。
『ダルフール・ウォー 熱砂の虐殺』 - 法華狼の日記
『ウォールストリート・ダウン』 - 法華狼の日記
今回も、スパイク・リー監督も制作しようとして頓挫した難しい題材を、そつなく完成してみせた。


まず、戦争描写は背景にすぎず短いが、それゆえ粗を見せず、大作感すらある。VFXもまずまずのクオリティだ。

記録映像の引用らしい場面から本編へ移行する演出もスムーズで、セットやロケも悪くない。
第二次世界大戦ごろの米独を舞台とした歴史映画としても興味深かった。


何よりスポーツ映画として素直に面白い。
マックスという人格は高潔すぎて、そのまま試合させても物語になりにくい。しかし、最初に世界王座についた時と、その世界王座を失った時は、非常にわだかまりの残る試合内容だった。前者は現在でも唯一の公式記録となっているほど、ボクシングとして好ましくないかたちの勝利だった。主人公が誠実であるほど、試合の不誠実さが葛藤を生み出し、ドラマを動かしていく。
その葛藤を乗りこえようと、持ち前の誠実さで試合をつづける主人公は、まさに世界王者と呼ぶにふさわしい。そして公私ともに充実した状態で、連続17KOで快進撃をつづけていたアフリカ系ボクサー、ジョー・ルイス*1との対戦を決意する。英雄が黒人に負けることを恐れたナチスから渡米を止められたマックスだが、総統の意向で試合がおこなえることに。ナチスと距離をとりつづけたマックスが、ここでだけ皮肉たっぷりにハイルヒトラーする。

ジョーもまた、当時の人種差別の壁を破って戦おうとする、強きボクサーだった。試合運びも攻守ともに隙がない。しかし試合映像から発見できた唯一の弱点、それに全てを賭けてマックスは鍛錬をつづける。
たまたまマックスと出会ったジョーは、1ラウンドKOを宣言するくらい不敵で、しかし好感を持てる好敵手だった。そして始まる試合に、会場は白人の観客であふれかえる。そこにひとり祈っている黒人女性。ふたりのボクサーは国家のためでなく、たがいの信じるもののため試合をする。
ただ良い題材をていねいに映像化することで、映画は文句のつけようもなく盛りあがっていく。


マックスを演じるのは、世界ライトヘビー級王者だったドイツ人ボクサー、ヘンリー・マスケ*2。日本人の観客としては演技のつたなさを感じることもなかったし、試合場面で身体性の凄さを見せるには良い配役だったと思う。
それほどボクシング映画を見てきたわけではないが、試合の演出も悪くなかった。映画の主要な試合だけで六つあり、ひとつひとつの時間は短いわけだが、それぞれ主人公のボクシング人生におけるコンセプトが明確。各ボクサーの思惑や状態を台詞にたよらず説明できているのもポイントが高い。


しかも最初のジョー戦は映画の中盤にすぎず、以降も充実した物語がつづいていく。
マックスは1938年にも渡米してジョーと再戦し、直後に祖国の無残な状況をまのあたりにする。その情景は鮮烈で、歴史に対する英雄の無力さを浮きあがらせる。
ボクサーではいられなくなったマックスは、妻とともに首都をはなれ、やがて戦争へ身を投じ、映画の冒頭へつながる。そして敗戦後の混乱を生き抜き、ボクサーとしては衰えた肉体で苦労をつづけ、持ち前の誠実さで再起をはかっていく。
この映画は、気が強く自立した妻、煙草や酒を愛好する付き人、さらに敵兵士やナチス高官まで、それぞれの立場でさまざまな魅力をもった人々を描いている。だからこそ、愚かな時代とは距離をとろうとする個人の、たとえ無力であろうとも誠実であろうとする姿が美しくきわだった。

*1:ジョー側の視点でも、『ファイター リングの戦火』というTV映画が2002年に作られている。

*2:つまりザ・ファイト ?拳に込めたプライド? [DVD]の商品説明にある「主役のマックスを演じるのは、元ヘビー級王者のヘンリ・マスケ」という記述は誤り。