法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『最後の特攻隊』

米軍艦隊への自爆作戦が初めておこなわれた時、ただひとりだけ機器が故障して帰還した宗方大尉。
その後に失敗がつづく特攻隊について、すべてが特攻機になっては敵艦隊へ突入することもできないと指摘。突入まで護衛する直掩隊を編成させて命中率をあげていく。
やがて宗方の前に、異なる理由で特攻作戦から帰還したひとりの青年があらわれた。宗方は青年の立場を守ろうとするが、戦争と国家の論理を乗りこえることは難しい。
間近に敗戦がせまっていることを知るよしもなく、誰もが自爆攻撃へ進んでいく……


佐藤純弥監督によって1970年に公開された、神風特攻隊を題材にした戦争映画。2時間超の尺を長いと感じさせない、期待以上の傑作だった。これまで評判を聞かなかったことが不思議なくらい。
GYAO!の無料配信は9月12日までだが、ぜひ結末まで見てほしい。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00867/v00909/
まず、特撮はまずまず。成田亨による特撮美術は、分量こそ少ないが質が高い。特攻隊周辺にのみ活用し、大がかりな戦闘は資料映像を使って、全体の統一感と最低限の精度を守っている。
ミニチュアの滑走路部分と草原にならぶ整備士たちを大胆に合成したカットは、東宝の円谷特撮では珍しい、東映特撮ならではといえるか。技術そのものは簡単だが、前後と合わせて効果的なシーンになっていた。

必要なところだけ力を入れているのは特撮だけではない。東映オールスターが登場する大作なのに、特攻隊とその周辺にのみフォーカスをあて、背景をそぎおとしている。日本の加害だけでなく被害も描かないことで、わざと舞台を限定しているとわかる。
この意図された視野のせまさは、そのまま特攻を生み出した社会の視野のせまさだ。はっきり史実と距離をとって、極限状況における寓話として完成されていた。冒頭に大きく表示される「この物語は/宇垣 纏中将とは/なんら/関係ありません」という宣言文も、鑑賞後には力強く感じられた。
もちろん、虚構にとどまることを目指した物語というわけでもない。この映画の冒頭と結末では、戦争で犬死をしいた過去の日本が、現実の戦後とつながっていることを鮮烈に演出している。


学生運動東京五輪、皇太子婚、安保反対……タイトルバックで時代をさかのぼり、物語がはじまる。かつてダイジェスト的に見た*1中国側の戦争映画『鬼が来た!』を思い出す。物語だからこそ描ける真実もあるのだ。


中盤の実質的な主人公となる吉川二飛曹の顛末もいい。機体が不調のため帰還したのは、ひとりで暮らすしかない盲目の母を案じてのため。
それでも上官に対しては立派に特攻してみせますと訴え、特攻隊員でありつづける自分も演じようとする。真面目であるがゆえに国家にひきさかれる心が痛々しい。
ここで興味深いのが慰安所の描写。やはり利用する特攻隊側の視点で描かれていて、女性へ同情する視点はいっさいない。それが利用させられる末端側にあった苦しみを浮きぼりにする。
男らしくしてやるという名目で、吉川は慰安所へ連れてこられる。しかし女性に体を重ねる気になれない。若い兵士の証言に時々ある*2、しいられた慰安など安息にならないという視点。そして女性を征服するという行動が男性らしさ軍人らしさへの通過儀礼になるという観念。望まぬ者に性風俗を強要するハラスメントは、現代社会にも残る問題だ*3
もちろん吉川は戦争から逃れることはできない。社会全体が軍隊にくみこまれていたゆえ、真面目な青年には逃げ場などなかった。ひょうひょうとした性格であれば逃れることができたかもしれないのに。
それでも、生きることを目指して最後まであがく吉川の姿は、物語の展開として納得せざるをえないものだった。それゆえに、やるせない。


登場人物それぞれが、それぞれの心情と信念で特攻に向きあう。その個別に異なる思いを、戦争と国家と軍隊がぬりつぶしていく。
しかし何一つ思いどおりにいかなかった宗方は、最後に虚構から現実へ突きぬけていく。けしてハッピーエンドではありえないが、不思議なカタルシスがあった。

*1:もちろん全編を見たとはいわないが、全体の流れと場面を要約する形で知った。

*2:たとえば保阪正康著作に証言の存在が言及されていた。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140118/1390062731

*3:こちらの労務士サイトで、「同僚からの性風俗店への誘いを断ったら「男のくせにおかしい」と噂された」等が男性から男性へのセクハラの典型として注意されている。http://www.no-harassment.net/hm/hm_korehara_7.html