法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』アリガトデスからの大脱走

のび太が秘密道具「もしもボックス」を使って、叱責が違法な世界を作った。その行動にあきれて未来世界へ帰ったドラえもんだが、気ままにふるまう子供たちを叱責したため監獄にとらわれてしまう。同じように人間を叱責して捕らわれたロボット達と協力し、ドラえもんは脱獄しようとするが……


生誕百年前にあたる、2012年の誕生日スペシャル。ただし、友人が祝うために野比家へ集まるくらいしか誕生日要素はない。水野宗徳脚本、八鍬新之介コンテ演出、三輪修と岡野慎吾の作画監督で、原画に桝田浩史など。
脱獄劇としては雑多な見せ場や伏線が散りばめられ、きちんと物語で活用されている。トロッコ上の砲撃、巨大ロボットの攻撃、背景動画を活用した剣劇、等々の作画演出に見どころがあった。3DCGを活用して描かれた監獄も実在感があり、脱獄の困難さが映像でよく表現されていた。過去の脱獄映画へのオマージュも楽しい。


しかし、脱獄劇を描くための物語基盤には、疑問点が多かった。叱責の裏に愛情があることを描いて、のび太ドラえもんの絆を描くという主題はわかるのだが、うまく展開や描写ができていない。
叱責してくれたロボットを失うことで、のび太や未来世界の子供が愛情に気づくわけだが、その喪失感が叱責と関係あるようには見えない。子供が勝手に気づくだけでは、あらかじめ関係性があったということにすぎず、他人へ叱責することの意義まで描けたとはいえない。
愛ある叱責のつもりで体罰をくわえたり子供を抑圧するような問題も、いっさい描かれなかった。たとえば、体罰をおこなったロボットが脱獄時に仲間の足をひっぱったりと、愛情のつもりでも自己満足にすぎないことがあると示して、叱責する側も自省できる部分がほしかった。
もちろん褒めることも子供を育てるには重要なこと。褒める教育方法を批判的に描くだけに終わったことも残念だ。たとえば、最後にドラえもんのび太を褒めて、愛情があると示しつつ、良いところは褒めるべきという内容にしてほしかった。


せっかく時間改変を描いているのだから、悪事が叱責されないままだと未来が犯罪のはびこる暗黒社会になるとか、SF寓話らしい叱責の意義も演出できたはず。
叱責が違法となる以外に未来世界の変化が見られないため、「もしもボックス」が争奪対象となる意味もわからない。原作でも「もしもボックス」が争奪対象となったことはあるが、ドラえもんしか秘密道具を持っていない現代を舞台にしているか、急いでいたため未来世界へ行くという発想ができなかった時だけ。ドラえもんしか「もしもボックス」を持っていない理由として、先述したように叱責されない世界では文明が発展しない、といったSF展開が見たかった。


他にもSFとして細部の甘さが目立った。
まず、叱責が禁じられた文化が百年以上も続いた後で作られたロボットが、人間を叱ろうとするだろうか。最初から叱責しないようプログラミングされるだろうし、対する人間の思想も変化してなくてはおかしい。原作短編でも「もしもボックス」で作られた世界は不合理なことはあるが、活劇を主軸とした長編の基盤が不合理では困る。原作でも大長編の『ドラえもん のび太の魔界大冒険』では、パラレルワールドとしての魔法文明社会をていねいに構築していた。
また、監獄ではロボットを働かせてダイヤモンドを採掘させているのだが、ドラえもんのいる未来世界の技術なら、ロボットを捕まえてまで使う意味もないはず。そもそもダイヤモンドの価値は現実でも下落する一方であり、遠い未来世界でも高価なままという設定ならば説明がほしいところ。架空のレアメタルや監獄地下に埋まった遺跡を盗掘しているという設定でも良い。
叱責した者を捕らえるために叱責する描写も、少しばかり矛盾を感じた。興奮して叱責したラスボスが自動機械に捕らわれる末路を活かすためにも、あくまで笑顔で甘い言葉をささやくような捕縛描写に徹してほしかった。そうすれば感情が抑圧されたディストピアらしい描写としても印象深かったろう。