法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

肉屋を支持する牛・アニメアイコン・日の丸クラスタ

肉屋を支持する豚」という表現がある。たとえば、アニメが好きなのに表現規制に熱心な自民党を積極支持するような人間を指す。要するに、自分の首を絞めてきそうな対象を喜んで支持するような態度のことだ。
他には、貧困層に位置しながら、福祉の充実に繋がる政策を拒絶する態度も「肉屋を支持する豚」と呼ばれたりする。だがこの場合は、端的に支持すべき対象を誤っているというのとは少し違う。他人が救われることが優先されて自分が救われなくなるという発想から、救われそうな他人を攻撃しているわけだ。要するに足のひっぱりあいであり、米国では複数の蟹を容器に入れておくと互いに上がろうとして逃げられなくなることから「カニバケツ」と呼ぶらしい。
個人的には豚にたとえるよりも、自分がいつまでも安楽に生かされると信じ、肉牛がつぶされる姿を笑い喜ぶ乳牛にたとえるのが近いのでないかと思う。子供に与えられるべき乳を散々に搾取されたあげく、つぶされて安価な肉として売られる姿の幻を見る。ゆえに肉屋を支持する牛、と思うことがある
もっとも、実際の畜産に対して失礼と解されかねない表現だし、あまり個人的に使う機会のない比喩だが。


あと、こちらが半分本題*1なのだが、いわゆる「アニメアイコン」や「日の丸クラスタ」といった「肉屋を支持する豚」とセットで指摘されがちな属性について。
まず、アイコンにアニメキャラクター*2や日の丸を用いることは、自身では変えようがない属性ではなく、自ら選んで用いている表現である。それを前提として、特定の誤った主張を行なった時に揶揄の対象とされるわけだ。
しかして、アイコンにそれらの意匠を用いる比率が優位に高いか、さらにいえば優位に高ければ揶揄の対象としていいのか、という批判もある。批判の本題と直接的な関係がなければ、選択可能であっても属性を指摘するべきではないという意見は、まず一般論として正しい。となると問題は、批判されていることとアニメや日の丸の関係性である。
先ほど「特定の誤った主張」と書いたが、その誤りは権利を軽視したり、マイノリティを攻撃していることが多い*3。それを社会的にはマイノリティに属して偏見の目でさらされ、表現し享受する権利がなくては存在しえないアニメキャラクターをアイコンとして発言する、その肉屋を支持する豚ぶりが揶揄の理由になるわけである。逆に日の丸は、マジョリティが国家を代表する危険が高いからこそマイノリティに目配りし権利を保障するべきなのに、抑圧機構としての国家を体現する主張を行なう*4ゆえに揶揄されるわけである。
本来は比率の高さが問題ではないはずだし、実際にアニメアイコンという言葉が批判表現として用いられた当初は、アニメアイコンで誤った発言をすること自体が批判の理由だったと思う。もしも、かつては属性と主張の関連が揶揄されていたのに、いつの間にか有無も不明瞭な属性と主張の相関が揶揄されることになったのならば、それは誤謬と呼んでさしつかえないだろう*5

*1:語義矛盾。

*2:それも、萌えアニメ美少女ゲームに出てくる美少女の顔が主。

*3:もちろん統計で確認したわけではないが。

*4:ついでに、発言する本人は、国家が建前としてでも守ろうとする人権や学問を公に敵視するという意味で、少数派であることも多い。

*5:「肉屋を支持する牛」的な態度とは別の関連を見いだした上で、相関を指摘し揶揄する態度を全否定するものではないが。