法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

反原発デモで日の丸をかかげるための理屈

星条旗の表象する人権とは何か、[twitter:@hokusyu82]氏の下記ツイートに首をかしげた。

紅白の縞は独立当初の州の数。左肩の星は現在の州の数。星条旗はそういう旗だろう。
当初については、まだしも大英帝国から植民地に追いやられた人々の立場を読むことができる。しかし、その後に州を増やしていった経緯は、先住民の存在を思いいたす限り、どうにも擁護の余地はない。もちろん「独立」当初でも、先住民から土地を奪ったという重層的な関係が間違いなくある。ロシア帝国から購入したアラスカ州などの少数を例外として、星条旗星一つ一つが明らかな簒奪の歴史だ。
由来に諸説はありつつ、初期から自由平等博愛の意味がこめられていた仏三色旗と同列にあつかう気にはなれない。

上記ツイートを見る限り、さすがにhokusyu82氏は私よりずっと学んでいることはわかる。しかし読みかえによって表象が変えられることを認めるなら、日の丸にも読みかえられる余地はあると認めてもいいのではないか。
下記ツイートでは「政治的ロマン主義の亜種」と見なされているが、国内植民地へ原発等を押しつけた「負の歴史」について責任を持つ意味あいで日の丸を用いる理路は否定できない。

そのような読み替えを実際に表現として示すことができると思ったなら、私も日の丸をかかげるかもしれない。批判的な意味あいをこめていると理解させられたなら、「日の丸に恐怖や怒りを持つ人」も表現への怒りは抑えられるだろう*1。もちろん、負の歴史に責任を持つという論理でかかげた場合、「恐怖や怒り」は引き受けなければならないことも注意しておく。


ただし、デモの場において日の丸をかかげただけならば、過去から掲揚され続けていた日の丸との区別はつけられない。責任を負うという意味をこめたいならば、一工夫は必要だろうとも思う。破れた国旗をかかげたり、かかげた国旗を燃やしたり、逆に汚れた国旗と見なして洗濯したり、過去から様々なデモで試されているが、そのまま現在のデモに適用できるかというと難しいとは感じる。以前から色々と考えているが、うまい表現は思いつかない。
とはいえ、自らの責任を負うと説明しながらかかげ、後の批判にも正面から応答していたならば、擁護する余地はあったと後から思う。あとづけの論理であったとしても、たぶん私が関係者ならそうした。少なくとも、国旗を批判する側への反発を国旗掲揚の理由にするだけでは、差別批判がうるさいからと差別するような態度と同じで、良くない。
まとめよう、あつまろう - Togetter

上記コメント欄での[twitter:@Liriru]氏のような主張は、本当に良くない*2

*1:恐怖のような感情となると、また難しいところもあるだろうが。

*2:しかし「学校立てたり」という根拠を植民地支配の反証としてかかげているあたり、逆に原発を地方へ押しつけるための手法が植民地政策と同様ということを裏づけてしまっていることは興味深い。