法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『蠅男の恐怖』

夫をプレス機で圧殺した女性が発見された。聞き取りを始めた義兄と刑事は、夫の発明から始まる恐怖体験を聞かされる……


『ターザン』シリーズで知られるカート・ニューマン監督による、1958年の米国映画。

物質転送の事故による人体の変容という基本設定や、蠅男のキービジュアルなどはホラー映画の書籍などで知っていたつもりだった。
さすがにテンポは現代から見ると遅い。怪物となった夫はさほど暴れるわけでもなく、考えもなく右往左往するばかりの局面も多い。
しかし実際に見てみると、いくつかの部分で先入観をくつがえされる、興味深い内容だった。


まず半世紀以上も古い作品なのに、モノクロではなくカラー映画ということに驚いた……もちろん太平洋戦争以前からカラー映画が存在していたことは知っているし、モノクロでないことに驚いたのは別の原因もあったのだが……
きちんとカラーをいかした絵作りもできている。特に冒頭のプレス機から流れている赤々とした血の多さは、現代に見てもビジュアルのインパクトがあった。事故後の夫が顔を布で隠して、蠅男の姿をしばらく映像で見せない演出も効果的。蠅男のビジュアル自体も記憶とまったく違っていて、なかなか良い特殊メイクだった。
ただ、発明家である生前の夫が貴族的なパーティーに出席していたりして、その光景は大時代な恐怖映画のようだった。そのパーティーの服装のまま怪しげな発明室に移動する描写のギャップも印象的。古典ホラーと現代ホラーの境界線を感じた。


時系列を前後させ、虚実さだかではない証言で物語を進めていく構成もモダンな印象がある。思えば『ジキル博士とハイド氏』や『フランケンシュタイン』などの古典ホラー小説も似た枠組みだが、映画化においては素直な時系列で再構成することが多かったはず。
証言時だけでなく回想内でもディスコミュニケーションが発生している構図もおもしろい。何も知らない無邪気な息子に左右される夫の運命と、義兄と夫妻をめぐる微妙な三角関係。夫を助けようとしつづけた女性も、語り終えてからは憑物が落ちたように悲しみを見せなくなる。
もちろん虚実はっきりしない女性の証言がそれだけで信じられることはないが、最終的に証言が真実だった証拠を目の当たりにする。そこまで蠅男の特殊メイクくらいしか特撮をつかわず、人間蠅ではじめて合成をつかって、やはりビジュアルのインパクトを増していた。
よく考えると頭が蠅になった男は普通にしゃべれるのに、頭が人間になった蠅が人語で助けを求めるのは、整合性には欠けているのだが、残酷さを強調することを優先していると思えば許せる。