法華狼の日記

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「従軍慰安婦」という言葉は、千田夏光氏の造語ではないことはもちろん、ずっと以前から普及した言葉だった可能性があるくらい古い使用例を、国会図書館の全文検索で発見した

まずは半官半民組織のアジア女性基金から「従軍慰安婦」という言葉の説明を引こう。
慰安婦とは 慰安婦問題とアジア女性基金

 いわゆる「従軍慰安婦」とは、かっての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです。
 これらの人々のことを日本で戦後はじめて取り上げた書物の著者たちは「従軍慰安婦」と呼んできました。したがって、日本政府がこれらの人々の問題に最初に直面した時も、アジア女性基金がスタートした時も、「従軍慰安婦」という言葉を用いていました。しかし、戦争の時代の文書では、「慰安婦」と出てきます。それで、いまでは、「慰安婦」という言葉を使っています。

1990年代ごろの少し古い見解だからこそ、日本社会の認識がどのように変化したのかがうかがえる*1


従軍慰安婦」という言葉が広まったのは、1970年代に出版されて映画化されるほど話題になった千田氏の一連の著作によってと考えられてきた。

2021年、日本政府が無関係な朝日検証を理由に「従軍慰安婦」という言葉を不適切と答弁した時、実は維新議員の質問では朝日新聞が言葉を広めたわけではないことは正確に認識していた。
「従軍慰安婦」という表現をつかわないのはいいのだが、閣議決定の根拠には大いに問題あり - 法華狼の日記

意外なのが、質問では「従軍慰安婦」という言葉が1973年の千田夏光従軍慰安婦 “声なき女”八万人の告発』から広まったと認識していること。そもそも馬場氏の質問には朝日新聞が登場しない。

逆に一部では「従軍慰安婦」という言葉を千田氏がつくったという事実誤認もされている。2014年に産経新聞のコラムで阿比留瑠比氏も確定された事実のように書いていた。
【阿比留瑠比の極言御免】慰安婦問題、誤解拡散の典型例(1/3ページ) - 産経ニュース

 この千田氏の「創作」話が、さらにゆがんで日韓共通歴史教材の記述につながったとみられる。千田氏は軍属を連想させる「従軍慰安婦」という造語の発案者でもある。

実際には千田氏が「従軍慰安婦」について書いた1970年代の文章*2より以前に、「従軍慰安婦」という言葉がつかわれている資料もある。Wikipediaに掲載されているくらい有名だ。
日本の慰安婦 - Wikipedia

従軍慰安婦」という言葉は戦時には存在しておらず、1963年に出版された『現代中国文学選集 第8巻』中の茅盾「香港陥落」(小野忍・丸山昇訳)に現れたのが確認できる最も古い例である。茅盾の原文では「隨軍娼妓」となっているため、小野か丸山による造語と考えられる。大衆雑誌では1971年8月23日号『週刊実話』の記事「"性戦"で"聖戦"のイケニエ、従軍慰安婦」で使用されている[132] が、書名に用いたのは千田夏光の『従軍慰安婦』(1973年)が最初である。その後、慰安婦問題が政治問題となってこの呼称は広く知られた。

ちなみに1971年の使用例を1999年の著作で指摘したのは保守派の歴史作家の秦郁彦氏である。その論調には批判的な研究者からも、資料探索力に一目おかれていただけはある。


もちろん現時点で確認できるよりも古い使用例が存在しないとはかぎらない。問題の本質ではないにしても社会の認識をうかがう手がかりとして、「従軍慰安婦」という言葉の初出がいつなのか気になりつづけていた。
たまに青空文庫近代デジタルライブラリーで検索したこともあったが、類語まで範囲を広げても見つけることはできなかった。しかし、ごく一部の著作権切れの書籍が登録されているだけだったり、題名や見出ししか検索できなかったりと、どちらも検索で見つけられる情報には限界があり、初出をさかのぼれる可能性は充分に残っていた。


そして近代デジタルライブラリー国立国会図書館デジタルコレクションへ移行して数年たち、ついに全文検索できるようになったことを「kasasu2004@kasasu2004」氏のツイートで知った。

ためしに「従軍慰安婦」という言葉で全文検索して、古い順にならべなおすと、あっさり1963年より以前の使用例が引っかかった。
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天武天皇 (岩波新書)
図書
川崎庸之 著 岩波書店, 1952.5(第33刷:1998.10)
103: 併合遺跡保存を考える従軍慰安婦日本軍政下のアジア琉球王国昭和天皇終戦西郷隆盛日本海繁盛記居宣長正倉院天皇の肖像義江彰夫

台風十三号始末記 : ルポルタージュ (岩波新書)
図書
杉浦明平岩波書店, 1955.8(第8刷:1999.6)
128: ジア遺跡保存を考える従軍慰安婦韓国併謎解き武家天皇居宣日本近代史学事始め神仏習発掘を科学する古

最も古い1952年と1955年の岩波新書は後年の重刷を底本としているので、おそらく巻末の書籍広告で1995年の吉見義明氏の著作が引っかかったのだろう。
しかし1956年と1957年の木村良平氏による書籍は、本文の記述として現在と同じ意味で「従軍慰安婦」をつかっているように読める。

玉砕孤島部隊 (戦記シリーズ)
図書
木村文平 著 鱒書房, 1956
44: 。基地とは名ばかり、従軍慰安婦相手に、ただら遊びをつづけていたのだ」 yk 陸軍の築城完成の苦慮が、期

恐怖の近代謀略戦 : 陸軍省機密室・中野学校 (東京選書)
図書
木村文平 著 東京ライフ社, 1957
85: 残された邦人、それに従軍慰安婦、重傷病将校の救出。すでに離島は、ながいあいだの輸送杜絶で、完全

さらに雑誌で、1959年の『食生活』と1960年の『週刊新潮』でそれらしい記載が確認できる。広告の記述だとしても、読者が特別な説明がなくても理解できる言葉としてつかわれたはずだ。

食生活 53(2)(597)
雑誌
(カザン, 1959-02)
32: が立つていて、日本の従軍慰安婦の名前が書いてあるんです。見ると大体行年黒田それで若返つたの···(大)杉

週刊新潮 5(14)(217);1960・4・11
雑誌
新潮社 [編] (新潮社, 1960-04)
6: もさ日 3 録として従軍慰安婦たちの生命まで救うめてきた。とうとう妻かヨウモトニックふわっとソフトな感

そして1960年、異なる映画雑誌において、おそらく同じ映画の紹介記事で「従軍慰安婦」の記述が確認できる。上記の『週刊新潮』も同じ映画の紹介かもしれない。

映画情報 25(5)(94);5月号
雑誌
(国際情報社, 1960-05)
37: 部隊からも見放された従軍慰安婦たちを生命をかけて救出するという異色の女と兵隊を描いたも

近代映画 16(5)(186)
雑誌
近代映画社 [編] (近代映画社, 1960-05)
92: ャコの二等兵シリーズ従軍慰安婦を救出せんと命を的の大活躍と思つた。幸い親日家で有名な東菜館の主

慰安婦」が登場する1960年ごろの『二等兵』シリーズらしいこと、救出するシークエンスがあることから、『新・二等兵物語 敵中横断の巻』の紹介文だと思われる。
新・二等兵物語 敵中横断の巻

慰安所ではむりやり働かされている肺病の花江(桂道子)に同情した一同が、待遇改善を要求してストライキに入った。長田隊長(山路義人)はお気にいりのみどり(若水ヤエ子)を残して、他の慰安婦には前進命令を発した。彼女らが出発した夜、みどりを抱こうとした長田隊長は、それが花江なのにびっくりした。花江に同情したみどりが身代りになって出発したのだ。慰安婦が全員捕虜になったという報が入った。決死隊が選抜され、救出のために敵中に潜入することになった。

同シリーズでは1956年の『続二等兵物語 南方孤島の巻』にも「慰安婦」が登場するようだ。どちらも残念ながら配信もDVD化もされていないようなので*3、内容を確認することは難しそうだが。
続二等兵物語・南方孤島の巻

ボートで脱出した植物学者鎌田四郎(奈良真養)を始め奈々子(関千恵子)、増美(谷鈴子)、照代(大津洵子)らの慰安婦が乗りつけて来た。久しく女に渇えていた上官連は大喜び。

この次に引っかかるのが、Wikipediaで確認できる最古とされた『現代中国文学選集』だ。これまで見てきたように1963年以前に一般流通した複数の使用例があることから、その後に独立して考案された造語とは考えづらい。まだ実際の用例は確認できていないが、すでに普及した言葉を翻訳につかったと考えて良さそうだ。
もちろん、1963年から1970年までも複数の使用例が書籍や雑誌に見られる。日本軍の「慰安婦」は表立って語られにくい存在であり、国策や軍隊の問題として一般に認知されたのは1970年代以降だとしても、それ以前には違和感なく「従軍」的な存在と考えられていたのではないだろうか。


インターネットで一部の書籍を読める送信サービスに登録できたので可能な資料を確認してみると、『天武天皇』は予想したように巻末の広告だった。この全文検索で表示される頁は、見開きで撮影された画像1枚ずつを数えており、書籍にふられたノンブルとは異なることも確認できた。
『玉砕孤島部隊』はノンブル42頁に「従軍看護婦、戦場慰安婦たち」と地の文で記述されている一方、検索で引っかかった「従軍慰安婦」はノンブル76頁の会話のなかに登場していた。『映画情報』の記述は「今月のスクリーン便り」という各作品紹介の一文で、やはり作品は『新・二等兵物語 敵中横断の巻』だった。
そして『恐怖の近代謀略戦 : 陸軍省機密室・中野学校』はノンブル167頁に検索で引っかかった文章がある他、「将兵の欲情処理に派遣されていた黄色い便器、従軍慰安婦」という表現もあることがわかった。ためしに「黄色い便器」で検索すると「従軍慰安婦」という語句は正しく入力されている。
検索機能そのものに問題があるのか、全文検索でもとりこぼされる場合があるようだ。逆に今回と全く関係のない語句で全文検索して、当該書籍にそのような記述が見つからない場合もあった。


全文検索が可能な資料そのものにも限界はあるし、口頭で生まれて使用される表現も少なくない以上、やはり完全な初出を確定することは命名する記述でも見つけないかぎり難しい。実際にどのように使用されていたかは前後の資料にあたる必要もあるだろう。
しかし初出をこれまでよりは簡単にさかのぼれるようになったことは事実だし、特定の言葉がどのくらい活字として流通していたかをさぐるくらいは可能そうだ。
全文検索できるようデジタル化に参加したすべてのスタッフに感謝したい。「従軍慰安婦」問題にかぎらず、日本社会が過去をふりかえる時の助けになるはずだ。

*1:なお、「従軍慰安婦」という呼称は被害当事者や支援団体から拒絶や批判がされることもあり、今の私は「従軍慰安婦問題」という争点をあらわすひとまとまりの言葉のみ使用している。被害当事者は文脈にあわせて「元慰安婦」や「証言者」などを選んでいる。歴史用語としては、「日本軍慰安所制度」という呼称が良いと思っている。被害者ではなく加害者の問題と位置づけるため、日本軍に固有な制度と示すため、そして現場の強制性が最大の問題と考えられるためだ。

*2:千田氏による最も古い文章は1970年の『週刊新潮』記事だが、そこでは「日本陸軍慰安婦」と表記していたという。

*3:2013年に1作目が初DVD化されたとのこと。