法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である」というなら、日本というひとつの地域に呪縛されるいわれもない

拓殖大学学事顧問の渡辺利夫氏によるコラムが注目をあびている。良くも悪くも。
【正論】もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(1/6ページ) - 産経ニュース
大学で日本近現代史の講義をおこなっているそうで、冒頭で下記のように語っているという。

現世の自己の存在のみがすべてだなどと考えるのは不道徳である。諸君には父母がおり、祖父母、曽祖父母、祖先がある。数世代を遡(さかのぼ)るだけでゆうに百人を超える血族があり、その内の一人が欠けても諸君はここには存在していないのだ。諸君のもつさまざまな属性は遺伝子の情報伝達メカニズムを通じて血族から諸君に移し替えられている。それゆえ個人はすべて歴史的存在なのだ。現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である。死せる者のいうことにも耳を傾けながら現世を選び取るという感覚を呼び起こそうではないか−。

現代ならば、文化や技術や学問といった血縁以外の継承を重視した語りをしてほしい気はする。それでも、ここまでならまだわかる。
しかし続きの文章を読むかぎり、血縁主義が国家という枠組みと矛盾しうることにすら気づいていない。

 日本という国家の命運は、外敵からいかに身を守るかにかかっていると同時に、共同体の基層にある家族の再生をいかにして図るかにも委ねられている。

それ沖縄でも同じこといえるの? 東北や北海道でも? 外国出身の学生はいないの? そもそも江戸時代より以前は、いくつもの勢力にわかれて争っていたのでは?
数世代もさかのぼったなら渡来人の家系も少なくないだろう。人類がアフリカ発祥である以上、究極的には全ての日本人が「もともと日本に存在しなかった」ことになるだろう。


ところで、この記事が掲載されている今、映画館では日本の起源をテーマにしたアニメ作品が上映されている。
『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』公式サイト
1989年に書かれた原作は、映画上映を記念してAmazon電子書籍Kindleで5月31日15時まで無料で読める。

上映中の映画も現代的なテーマをこめた素晴らしいリメイクだったが*1、原作の時点でも古きを知って視野を広げていく子供たちが描かれていた*2


ちなみに旧作映画の主題歌は「時の旅人」という。
歴史を学ぶということは、社会の呪縛を乗りこえる力を育てるということでもある。