法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『BLUE DRAGON ラルΩグラド』

闇の世界からあらわれた二次元の存在「カゲ」。主人公たちは人間に寄生するカゲ「ファースト」と共闘し、人間や同族を食って表の世界を支配しようとする「セカンド」や「サード」と戦う。
XBOXのゲーム『ブルードラゴン』を原作として、『DEATH NOTE』の小畑健を漫画担当にむかえ、2007年に『週刊少年ジャンプ』で短期連載された全4巻のダークファンタジーを読了。鳥山明デザインにそったTVアニメ版は好調だったようで2年目も制作されたが、最初からダークで性的描写も多かったマンガ版はあわただしい結末をむかえた。
なお、原作者の鷹野常雄による最終巻あとがきによると、「ラル」と「グラド」の間にある記号は、本当は「オメガ」ではなく「ドラゴンヘッド」とのこと*1


原作者が同一人物かはわからないし、作画担当者の裁量がどこまで入っているかも不明だが、『DEATH NOTE』や『バクマン。』で気になっていた女性観や人間観は、中世欧風の古風な世界観と結果的にせよ合っている。
主人公も戦いの対価として女性の乳に執着し、美しい女性だけ守ろうとするような性格だが、さすがに作中で何度となく批判される。それが結果として良かった。中途半端に駄目なことを悪くないことのように描写されるよりは、つきぬけて駄目なことを駄目なこととして描写されるほうが、読んでいて引っかからない。ただ、悪知恵にすぐれている子供を主人公にすえるには、能力的な戦闘力は弱めにしてバランスをとるべきだったとは思う。
旅の同行者が多すぎて使いきれていないのは、ファンタジー映画でもよくあること。一応、能力を使用する描写が最後まで全員にあるので、まったく無意味というわけでもない。
そして、あらゆるものに擬態できるカゲとの戦闘は、シンプルでいてビジュアルにオリジナリティがあった。ちゃんと特殊な設定をいかした知略戦を描こうともしていた。週刊連載マンガとしては展開や台詞に密度がありすぎると思うくらい、読みごたえあったと思う。


問題の終盤だが、それらしく形を整えてはいる。途中で登場した敵幹部は排除して、力をあわせてラスボスを倒し、冒険で知見を広げた主人公が最後に選択をする。
しかしラスボスの周囲にいる五幹部は、本拠地で油断したところを潜入され、ひとまとめに2頁ほどで殺される。最初に一幹部が登場した時は主人公たちを翻弄し、追撃からも逃げのびるほどだったので、その落差が打ち切り感を増す結果となった。直後に主人公と戦う同格のカゲを、五幹部の一員として登場させるくらいはできただろうに。


そしてラスボスの特殊能力を打ち破る理屈は、完全な後出し設定。もしも後出し設定ばかりの作品なら納得できたくらいの理屈はついているが、過去の戦闘で伏線をはっている作品においては納得しがたい。しかも主人公のカゲとラスボスは同格なので、ラスボスが知らずに罠にかかることが不自然だ*2
サイズの違いがラスボスを騙すポイントなので、たとえば仲間のカゲが水を使うことを利用して、レンズや蜃気楼で錯覚させるような作戦は描けなかったものか。ラスボスは一瞬しか主人公を見ることができないという前提もあるのだし。


結末で、主人公が幸福な別離を選んだことは、そう悪くないと思う。最後のモノローグも嫌いではない。主人公が冒頭で父殺しをした問題を回収していないことも目をつぶろう。
しかし主人公を教え導いた女性と別離した理屈は、はっきりいって良くない。せめて最終巻の原作者あとがきで説明されたような、主人公と女性がともに人間世界と別離するという本来の構想にしてほしかった。
別離せざるをえない理屈そのものが後出し設定なので、長台詞で説明されても納得できない。せめてカゲや主人公の意思で女性と別れるドラマを描くべき。ファンタジーであっても設定や理屈をていねいにつける作風が、最後で悪い方向に出ていた。

*1:ところで冒頭の謎かけをしりとりと記述して、対になるように結末を閉じたとも書いていたのだが、連載版と冒頭が違うのだろうか。

*2:主人公のカゲがやっていたことをラスボスはやっていないという違いはあるが、同格のカゲは本能的に同じ知識をもっているという描写が直前にあるので、脳内補完もしにくい。