法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった』

東京大空襲の前日に、TBS系列で放映された2時間超の報道番組。米軍機のガンカメラ映像を主軸として、いまだ埋もれていた戦場の記録と記憶を掘りおこしていく。
戦後70年 千の証言スペシャル「私の街も戦場だったII 今伝えたい家族の物語」|TBSテレビ
やや散漫ではあったが、予想以上に目新しい情報や視点があった。日本という国家が一方的な被害者でないことも注意できていた。その上で最後に明かされた情報には、愕然となった。


番組のコーナーわけは細かいが、大きくわけると3パートだ。
国立公文書館で保存されたガンカメラ映像の撮影された日時や場所を特定し、視覚化していくパート。
複数の証言や資料をもとに、東京中央線で疎開しようとしていた姉妹を襲った空襲を、ドラマで再現したパート。
米国にわたり、民間人を機銃掃射したパイロットについて探ろうとしたパート。
そしてパートごとの戦争の記憶に番組ナビゲーター佐藤浩市が向きあい、歴史と現在をつなげる。


番組は最初に、初公開をふくむ多数のガンカメラ映像を紹介。米軍機の機銃掃射と日本側の対応を説明していく。
米軍機視点で機銃掃射を見るカラー映像だけならば、これまで何度もTV放映されてきた。そこで番組では、撮影内容を特定しているアマチュア研究者の協力をえたり、ドローンカメラの空中撮影を使ったり、設計図にもとづいて防空気球を再現したりして、過去の映像と現在の風景を重ねあわせていく。当時の地形がそのまま残った地域もあれば、滑走路が直線道路として残った場所もある。日本軍基地の後に福島第一原発が建てられ、またしても土地が国家的な政策の犠牲になったという指摘は印象的だ。
そのガンカメラ映像によって、被害者証言しかない空襲がいくつか裏づけられた。大都市への大規模な空爆ではないためか、市町村史にも残されていない戦争の歴史が、まだ日本にも隠されていたのだ。オーラルヒストリーの重要性がよくわかる。
さらに番組は各地の傷跡を映していく。弾痕ごと保存された建造物を見にいったり、証言者に会いにいったり。田代秀樹エグゼクティブプロデューサーが「当時、20歳だった人は90歳。戦争を知る人が実体験を語るぎりぎりの年」*1という危機感から集めたというだけあって、民放ドキュメンタリー番組としては多様な証言が集められていた。その一部は公式Facebookでも紹介されている*2
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特に印象深かったのが、拠点攻撃の帰路だったため攻撃されつづけた小さな街の証言者。たいした戦略的意味すらない攻撃をされた立場でも、米軍を悪魔化しなかった。

鹿児島枕崎市で空襲を体験した白澤豊さん(82)
「どこでも構わず一般市民だろうが非戦闘員だろうが狙ったのでは。日本軍でもそうだったのでは。米軍だけじゃなくて。狂ってこなければそういうことはできないはず」

そもそもガンカメラは、戦闘を評価するために使われたという。番組は冒頭のナレーションで、映像に残るからこそ攻撃したパイロットもいた可能性を指摘していた。


次に番組は、よくガンカメラ映像で標的にされている列車から、8月5日の湯の花トンネル機銃掃射事件*3を再現ドラマ化。
短いながら情報が充実し、物語のまとまりもよい。疎開しようとした姉妹を中心に、同乗していた毎日新聞論説委員や、仕事をしていた女性車掌を映して、多視点で描いていく。美術や特撮にも隙がなく、きちんと生活や惨劇を再現しようとする努力が感じられた。
そしてドラマ後に複数の証言者が登場し、当時をふりかえった。再会する時はモンペではなくセーラー服を着ようと親友と話して、すぐ戦争が終わると予想していた少女。しかし文章として、生まれ変わったら野辺に咲く花になりたいとも遺していた少女。その少女のためだった葡萄の樹を母親が切った、その心情をおもんばかる妹。死傷者を運ぶための戸板を使った家屋では、助けようとして力およばなかった元少年少女が証言する。
女性車掌の証言が、特に印象深かった。空襲警報が出ていたがトンネルに隠れられると判断したことを悔やむ。しかし当時の証言者は17歳だ。女性に選挙権すらなかった時代、国家的政策のため働かされ、未成年に責任だけ負わされる。これが不条理でなくて何だろう。


最後に番組は、米国にわたって、湯の花トンネルで機銃掃射したパイロットを探し出そうとする。
しかし米国立公文書館でそれらしきフィルムを選んで確認しても、湯の花トンネルの映像は見つからない。もともと戦果を記録するためのものであり、多くが破棄されてしまったという。
そこで硫黄島から爆撃に向かった約1000人のパイロットから、第506飛行隊にしぼりこみ、その生存者に会いにいった。しかし航空ショーで出会った4人は、誰もが民間人への攻撃を否認する。機銃掃射したのは発電所などのインフラのみといい、列車を攻撃したというパイロットも対象は貨物列車だったという。

米軍第506飛行隊 元パイロット ジャック・ライス氏(92)
「(列車や駅を)撃ったことはないな。私ではない。見た憶えもないよ。地上にいる人たちには何の感情もわかなかった。やるべきことをやっただけ」

米軍・第506飛行隊 元パイロット ビル・エバーソール氏(89)
「列車は撃った。だけど、僕が撃ったのは客車ではない。貨物列車だった。列車の前方に貨物車両があった」

どこまで信用していい証言かは不明だが、同日に複数の列車が攻撃されていた記録はある。ガンカメラ映像に人影がはっきり見える時間も、番組で確認した16時間で15秒ほどしかない。実態とは違っていても、主観的には真実を述べているのかもしれない。
地上と違って人間の見えない攻撃であることが、民間人を撃つ心理的な障壁をとりのぞいたのではないか、そう番組は指摘する。貨物列車を撃ったというパイロットは、犠牲者の証言を番組に見せられ、初めて相手の痛みを知ったようだ。

米軍・第506飛行隊 元パイロット ビル・エバーソール氏(89)
「何でどうしてこんなことに。撃った人が誰であろうと僕らの国がしてしまったことを謝罪したい。あまりにも酷い。僕は謝りたい。これはいけない」

前後して、組織の判断としても、東京大空襲から米軍の攻撃対象が広まった問題が説明された。しかし米軍を特別視せず、イギリスやドイツ、さらに日本も無差別爆撃をおこなったことを重慶爆撃の映像で言及した。


ただし、加害者に被害証言を見せてコメントを引き出すだけなら、過去の戦災報道番組でも見たことがある。戦争が兵士の判断力や倫理観をうばうという指摘も、もちろん重要だが珍しくはない。
しかし番組は探索をつづけ、湯の花トンネルで機銃掃射をおこなったパイロットを特定した。すでに本人は亡くなっていたが、番組は長男に会うことができた。65歳だが若々しく、その笑顔は写真の父親とよく似ている。
長男は、父は心が広くて器が大きい、会えば誰もが好きになる人だったと語る。残虐な人物が身内に優しいことは珍しくないが、パイロットが戦地から妻へ送っていた282枚の手紙を読むと、より普遍的な視野を持っていたことがわかる。
パイロットの手紙には、戦争を嫌悪している苦しみが何度も語られていた。平和主義者という自認と現状との落差に苦しんでいる言葉もある。問題の湯の花トンネル機銃掃射についても、むしろ人々を撃とうとしない判断が書かれていた。

米軍元パイロット ジョン・ジョセフ・グラント氏の手紙
「機関車を狙って撃った。列車はトンネルに辿り着いて止まっていた。後方車両は外に出たままだった。再び列車の上を飛ぶと民間人らしき人たちが逃げていくのが見えた。僕は撃たなかった」

悪魔化こそしないまでも、米軍パイロットは標的を人間と思えていないかのように番組は描いてきた。その先入観を、この手紙は根底からくつがえす。
どれも戦後の釈明ではない、同時代の言葉だ。きっと息子の語る父親像も、嘘ではないのだろう。


そして番組の最後には、葛藤に満ちた手紙が紹介された。日本の美しさをたたえながら、米軍パイロットとしてふるまわざるをえない、夫であり父である言葉。

日本がどんなに美しいか 僕は君にもう伝えたかな
田畑がどこまでも広がっていて 小さな神社が建っている


女の人男の人 そして子どもたちも
僕らの戦闘機の音が聞こえると 走って逃げていく


ダメだ
あの人たちを銃で撃つなんて 僕にはできない
幼い子どもたちと わが子の姿が 僕には重なって見える


戦闘機のごう音におびえて 小さな子どもたちが
母親父親のもとへと走っていく
僕の機銃で簡単に吹き飛ばせるような
小さなおんぼろの家に走っていく


ちくしょう 戦争は地獄だ
残酷で 冷たくて 犠牲はあまりに大きい

戦争が恐ろしいのは、判断力や倫理観を奪うためだけではない。個人が判断力や倫理観を残していても、それは押しつぶされ、苦しみを増すことすらある。
もちろん、それでも私たちが無力感にさいなまれる必要はない。できることは今でも残されているはずだ。

*1:http://www.cinematoday.jp/page/N0070365

*2:以下、引用枠内の証言は、最後の手紙を除いて公式Facebookから引用した。

*3:かなり有名な事件で、こちらのサイトなどで紹介されている。http://homepage2.nifty.com/tomhei/newpage29.html