前回と前々回に続いて、最後の感想。
項目369「死ぬときはひとりぼっちでしょうか?」の答えは「ひとりぼっちで死ぬのを怖れる者は多い。だれもそういうことは望まない。仲間の兵士もできることなら看取りたいと思うはずだ。」で全文。……結局、ひとりぼっちで死ぬ場合がどれだけあるか答えるのをごまかしている。このごまかしが、逆に答えなのだろう。
さて、この本は、戦死後の出来事を説明する章が終わり近くにあり、直後の最終章は戦後の日常生活にしぼった構成になっている。劇的な結末としての死ではなく、終わりなき日常を生きる兵士の生活でしめる構成だ。状況の変化としての戦争を求める人々*1がいることを思えば、強い意図のある章立てと感じる。
だから逆に、最終章のどの項目も興味深いが、あえて戦争から帰った時ではなく、復員者へ戦争についてを尋ねる時*2に重要な項目のみ紹介して終わりたい。
項目433では、「戦争のことが議論されているのを聞くと、どんな気持ちになるでしょうか?」という問いが立てられている。まさに私や、おそらくは私の日記、そしてこの本そのものを読んでいる人が関わっているだろう、“現在”のできごとだ。そして、答えはこうある。
フラッシュバックを引き起こすかもしれない。家族ではなく他人と戦争の話をしているときのほうが、戦争のストレスを思い出しやすい。テレビ番組や映画は会話よりもさらにフラッシュバックを引き起こす可能性が高いが、夢や悪夢はそれよりもほんの少しだけフラッシュバックを引き起こしにくい。
たとえフラッシュバックを引き起こすとも、戦争について公に話すことに、大きな価値はあるはずだ。そして、価値があると思えるだけの議論をしなければならない。
これは私たちの身近でも起こっていることでもあるのだ。
「「妖怪」がわかれば「昭和」もわかる」(対談) - Apeman’s diary参考