法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『野火 Fires on the Plain』や『この世界の片隅に』と『鬼郷』を比べて、韓国の映画界に対して日本の映画界が劣っていると感じざるをえなかった件

日本軍慰安所制度を題材にした『鬼郷』*1と、近年の日本で戦争を描いた映画として『野火 Fires on the Plain』*2と『この世界の片隅に*3を見比べて、映画界のレベルの違いを感じてしまった。
念のため、それぞれの映画には個別の評価と価値がある。作品として優劣をつけたいわけではない。むしろ明確な優劣がないからこそ、映画を制作する環境の違いを感じたという話だ。


『鬼郷』を監督した監督は、インディーズ作品が評価されてドキュメンタリーを監督した経験くらいしかなく、商業での劇映画は初めての、キャリアの浅い新人だった。
一方、日本の2作品を監督したのは、どちらも複数の商業作品を撮ってきたベテランで、国内外で映画賞をとるような評価もされてきた。原作も、前者は別の巨匠も映画化している戦争文学の古典で、後者はすでに実写ドラマ化もされた人気漫画だ。
それほど実績がある映像作家と原作でも、今の日本では充分な出資を集めることができなかった。そこで前者は遺産で自主制作して徹底的に予算を切りつめ、後者は制作会社MAPPA*4でつくりながらもクラウドファンディングの助け*5で完成にこぎつけた。
前者の塚本晋也監督は自主制作的な手法を得意として、あえて安っぽさを強調する撮影と*6、手作りしたプロップから、ホラー映画のような情景をつくりだした。後者の片渕須直監督は、個人でも一定の制作をつづけられるアニメ作家であり、公私にわたるパートナーとして浦谷千恵*7というアニメーターもいた。どちらも力のある作家の個人技と、それを支える有志の助けで作られた。
一方で『鬼郷』は、良くも悪くも歴史再現として平均的な映像であり、さほど斬新な演出や技法は見当たらなかった。クラウドファンディングを利用するほど予算にとぼしく、監督のキャリアもないのに、一般的な映画としてしあがっている。日本軍と抵抗軍の戦闘シーンも正面から銃撃戦を見せていく。さまざまなスタントも危なげない。これはつまり作家個人の能力に依存せずとも、低予算なりの要求にこたえられるスタッフを配置するだけで、水準作が成立するということではないか。


会社が大部屋俳優をかこって群衆も兵士も自在に用意できる、古き良き日本映画。そのような厚みが、おそらく現代の韓国映画にはあるのだ。
もちろん韓国映画もさまざまな問題をかかえているという報道はあるし*8、日本では気づきにくい問題があっても不思議ではない。
しかし日本で映画を観ている身としては、どうしても隣の芝生の青さがまぶしくてしかたがなかった。

*1:『鬼郷』 - 法華狼の日記

*2:感想はこちら。『野火 Fires on the Plain』 - 法華狼の日記

*3:備忘として、ストーリー展開やメッセージ性を比べたエントリがこちら。映画『この世界の片隅に』を加点と減点で評価したところ、だいたい映画『鬼郷』と同じくらいになった - 法華狼の日記

*4:制作開始と同時期にベテラン経営者が新設した会社であり、単独で充分な制作環境を用意できたわけではなかったようだ。2016年の映画完成までには複数のTVアニメを送り出し、どれもクオリティの高さに定評があったが……近作の『将国のアルタイル』を見るかぎり、企画に要求されるリソースを必ずしも用意できる体制ではないという感触がある。

*5:制作費そのものというより、期待している観客層を可視化することに意義があったらしい。

*6:塚本晋也「野火」全記録』によると、ポストプロダクションなどはそれを業務とする会社でおこなったが、あえてデジタルらしい質感を残すように依頼したという。

*7:女流監督として、新選組を題材にした短編OVA土方歳三 白の軌跡』も手がけている。あまり動きのない作品だったが、伊東伸高担当と思われるカットのアクションはわかりやすく良かった。

*8:キム・キドク監督の制作現場における暴力性への告発が記憶に新しい。