法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『奇跡体験!アンビリバボー』日本最大スクープ★封印された殺人事件

今週は弘前事件として知られる1949年の冤罪事件をとりあげていた。
前時代的な捜査がおこなわれた冤罪事件という印象を漠然と持っていたが、番組で描かれた事件の経過を見ると印象が全く異なる。
奇跡体験!アンビリバボー:日本最大スクープ★封印された殺人事件 - フジテレビ

刑事たちの行き先々に現れ、捜査状況について聞き回っている男がいた。 男の名は那須隆(仮名・25歳)、事件現場の近所に住む無職の男だった。


さらに、那須は自分が調べた結果を見て欲しいと、資料をまとめて捜査本部まで持って来たのだ。

まるで本格推理における名探偵の登場シーンのようだ。そしてそれらの物語と同じように、怪しい人物として警察に目をつけられる。

彼はこの那須与一 直系の子孫で、那須家36代目当主に当たる人物だった。 地元の名門中学を卒業後、警察が持つ電話回線の点検・保守を請け負う仕事をしていたが、4年前の敗戦でその組織自体が解体となり、職を失っていた。
 那須さんは、国のために奉仕できる公務員になりたいと考えていた。 しかし、当時はまだ戦後の混乱で募集などほとんどなかった。 そこで、手柄を立てれば採用してもらえるのでないかと考えたのだという。

そうして那須氏は国家に裏切られた。
血痕のついた靴の鑑定書は裁判所に出されず、実際に血痕があったのか疑わしい。物証として使われた血染めの衣服は、鑑定人によって意見が割れていたのに、被害者の血液という鑑定だけが利用された。しかも衣服が血に染まった経緯は、後の裁判で警察の捏造が疑われている。
証言や自白にたよることが危険なのはもちろん、形式的な物証を信用することも危険なのだ。近年に冤罪と認められた足利事件のDNA鑑定を思いおこせば、半世紀前の出来事として切りすてることもできない。


那須氏の冤罪が晴れたのは、真犯人が刑務所内の知人に告白し、その知人が那須氏に協力したため。真犯人があらわれないと再審すら認められにくいことは、今の冤罪事件でもつづいている問題だ。
ちなみに実際の再審に向けての活動は、番組で描かれたより複雑で難航したらしい。
「弘前大学教授殺人事件」と那須隆さん(その2) - カクレマショウ

鎌田さんの新聞連載によれば、「その勇気をふるった行為も、絵に描いたような美談にはならなかった」。つまり、地元では、那須さんとTという「ムショ仲間」がつるんで仕組んだ金稼ぎの芝居、と疑う人も少なからずいたようなのです。

鎌田氏は、この連載の掲載紙である東奥日報紙も、「1971年7月14日から、T告白を批判する記事を連載した」とバッサリ。「真相語らぬ"真犯人"背後に黒いうわさ飛ぶ」などというタイトルが並ぶ連載企画です。