法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

漫画制作コストを2分の1に縮小するくらいならいいのでは、と思ってしまった

アシスタントを使わない場合に原稿がどのように変化するのか、佐藤秀峰ブログで自作を使って実例を示すエントリが上げられている。
エラー
制作コストの引き下げが作品の表現を制約するという、エントリの本題そのものには異論がない。


しかし本来の作品を見ると、全コマの背景がみっちり描かれていて、『ドラえもん』等で育った人間としては読みづらい。

たとえば1コマ目はそもそも海中だから、描かれている距離なら物体の細部が実際には見えるわけがなく、最初からイメージカットなわけだ。マンガ技法としては省力しても許されるはず。
また、2コマ目と3コマ目は同一の空間*1だから、どちらか一方の背景を省略してもいい*2
たとえば緻密な絵という印象がある浦沢直樹作品でも、同一空間では序盤と終盤のコマにだけ背景を描き込み、人物が会話する場面の背景は白い。「メビウス・ラビリンス」で引用している頁を転載する。
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その2 : メビウス・ラビリンス

ちょうど、2コマ目まで省力した例と同じくらいの密度だろうか。

3コマ目の情報量を1コマ目と2コマ目に合わせて調整すれば、充分に作品として成り立つと思う。
もちろん、大きく3コマに割っている佐藤秀峰作品と、細かくコマを割っている浦沢直樹作品で、背景の有無だけで労力を単純に比較はできないだろう。だが、象徴的な例として力を入れすぎた頁を選んだと感じると、エントリの説得力が下がってしまう。
実のところ、漫画家としての基礎力がしっかりしているから、省力しきった最後の頁でも、漫画作品としてはそれなりに成り立って見えたのが正直な感想だった。


なお、浦沢直樹作品を紹介している「メビウス・ラビリンス」のエントリは、コマ割り技法を解説するために各時代から各作家の漫画作品を例示している。コマを細かく割っている頁を多く引用しているから、コマごとの背景の有無を確かめることができる。
たとえば同じ浦沢作品でも、空間内を探索している場面では、コマごとに細かく小道具を入れていたりする。

つまり、背景の密度は、もともと漫画家ごと作品ごとの個性や必要性に左右される。その個性や必要性を制作コストが制限することは、やはり表現において問題ではある。
たとえば本来の作品を読みづらいと先に評したが、潜水艦の狭い空間らしい圧迫感が表現されているという見方もできる*3。読みやすくすることが正しいというわけでは当然ない。

*1:正確にはそれぞれ区切られた場所だが、同じ潜水艦内として処理しても許される。

*2:正確には、どれだけ手を抜くとしても、1頁につき1コマくらいは舞台となっている空間を明確にさせるため背景を入れるべき、という話。

*3:戦闘開始している潜水艦内で叫んだり走ったりする漫画らしいデフォルメ描写と比べ、やはり食い合わせがよくないと思うが。