法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍慰安婦問題を否認する三つの詭弁

下記エントリの続編。コメント欄の続きも、このエントリで。
従軍慰安婦の歴史だけでなく、日本語も勉強するべき歴史修正主義者 - 法華狼の日記
さて、上記コメント欄ではmumur氏が長々と主張しているが、その核心は見たところ大別して三つしかない。
古い問題に新たな批判が行なわれること自体を拒否すること、新たな批判から目をそらして古い一つの批判にだけ応じること、批判を無視して自己主張をくりかえすこと。どの態度も、批判に応えられず進歩しない歴史修正主義の体現でしかない。
以下、それぞれ具体的に見ていこう。


まず、コメント欄等で何度も批判しているが、抗議運動が確認できないことをもって、問題は存在しなかったのだという主張*1

日本軍が本人や家族の意思に反して朝鮮人女性を「強制連行」していたのならば、まず間違いなく抵抗運動が発生する。


はい?「武器を持っている日本軍に反抗できるわけないじゃないか!!」ですか?
それにしては、各地で抗日運動が発生しているんですけど。
何で朝鮮人女性の「強制連行」に対する抵抗運動だけが発生しないんですか?

白馬事件以外に発覚しなかったオランダ人慰安婦強制連行事件があったこと、ヨーロッパ人とアジア人では日本軍のとりあつかいが違っていたことを私はエントリで指摘した。抗議や抵抗ができるかどうかは状況によって異なるし、抗議や抵抗がなかったことは問題が存在しなかった証拠にはならない。この指摘にはmumur氏も「おお、見事に防衛線を貼ったな。」と評した*2。その上で上記のような発言ができる不思議な心理については後述しよう。
ちなみに私はコメント欄でも、抵抗運動がなかったとはいえないこと、歴史上の様々な事件において抵抗運動が必ず確認できるわけではないこと、韓国の固有性として長い軍事独裁政権があったことを指摘した*3

……え、もしかして、植民地政策があった時期において、慰安婦制度のみに対象を限定した抵抗運動という形式でなければ、慰安婦制度に対する抵抗運動とは認められないとでも主張するのですか。いや凄い、歴史に残る様々な奴隷制や人権侵害の存在を否定する論理ですね。
リアルタイムで「発生するはず」「おかしい」と主張するならば、歴史学で認められた同様の強制連行において必ず侵略全体ではなく奴隷制のみに限定された抵抗運動が存在した証拠を比較対象として提示しなければなりません。黒人奴隷、チャウシェスクの子供達、文化大革命スターリン時代の虐殺、ポルポト政権の虐殺、等々……これら歴史全てに対し事件を限定したリアルタイムの抵抗運動が、従軍慰安婦運動に対する抵抗運動以上に、記録として残る形で存在したという証明が最低限、必要です。
その上で、「発生するはず」「おかしい」という主張は歴史事件の固有性を無視する愚劣な態度と指摘しておきましょう。抑圧に対する抵抗の形は様々であり、他の抵抗と形式が異なっていたことは抑圧が存在したことを否定する根拠になりえません。性犯罪に暗数が存在しないとでも思っているのでしょうか。

実のところ、「でな、お前はリアルタイムでの抵抗運動にしか目が向いてないが、日本からの独立を果たして以降の動きに対する反論ができてないぞ」と、抵抗運動が存在しないことが充分に考えられるという私の指摘に対して、mumurさんは他の歴史を比較することで反論するということができていないんですよね。もちろん、韓国の長い軍事独裁政権等の固有性に着目することもなし。単に、mumurさんが勝手に定義する抵抗運動が確認されないこと一事をもって、従軍慰安婦問題を否定しようとしているだけ。

id:optimagentis氏、id:bogus-simotukare氏、id:Mukke氏も、コメント欄で異なる論点から問題よりも後年に抗議が広がる例を指摘している*4
つまるところ、知らないものは存在しないという発想の変種でしかない。mumur氏自身による下記のまとめからもうかがえる*5

「家族や村人の抵抗運動だけ未発生で、独立運動民族主義運動だけ発生するというピンポイントで器用な統治はどういう仕組みでやってるの?」
独立運動家の耳に入らないのはなんで?」
「日本から独立したらもはや押さえ込むものは何もないのに、何で騒ぎにならないの?」
「日本からの圧力はないのに何でGHQの調査で明らかにならないの?」
「戦後から90年代初頭までのブランクは何?」


一つ結び目を解いても、別のところで糸が絡まる。

どれもmumur氏が確認できていないというだけのことを「未発生」「耳に入らない」と断言しているにすぎない。引用した末尾の主張とは逆に、mumur氏こそ抵抗運動が必ず確認されるはずという一点に依拠しているので、抵抗運動が確認されないこともあると指摘するだけで瓦解する。もちろん、それぞれの論点へ個別に批判をくわえることは可能だ。
実際には日本の植民地政策に対する抵抗運動があり、その対象に慰安婦問題もふくまれていると考えることもできる*6。しかしmumur氏は慰安婦問題については問題ないと抵抗運動側が主張していた根拠を全く提示しない。「未発生」と断言したいなら、むしろmumur氏こそ慰安婦制度だけ除外したという「ピンポイントで器用」な抵抗運動であった証拠を提示するべきだろう。
GHQの把握についていえば、東京裁判従軍慰安婦強制連行が動議されていた証拠を林博史教授が発見した報道も記憶に新しい*7東京裁判に参加できた被害国からの訴えは確認されている。そしてこの資料が近年に発掘されたことは、歴史問題が長期間にわたって認知されない場合がある証拠でもある。
最後に、日韓基本条約では個人補償が行なわれなかったし、そもそも日本は賠償金という形式での補償も行なわなかった。そうして朴正熙大統領が日本の責任を追及しなかったことに対し、学生等が反対する大規模なデモも行なわれている。韓国軍事独裁政権と日本政府の共犯関係によって朝鮮半島の被害が直視されてこなかった歴史は、先日にも『NHKスペシャル』で描かれたばかりだ*8


次に、吉田清治証言とそれを紹介した報道に、従軍慰安婦問題の発端があるという主張*9

この問題は朝日新聞吉田清治を取り上げてキャンペーンを張ったのが発端。

これは、抗議運動が無かったことをもって問題が存在しなかったという先述の主張と繋がっている。吉田著作よりも先に出版された千田夏光著作の存在を無視することで*10、問題が認知された時期を遅くしようとしている。
同時に、歴史資料としては採用されていない著作に現在の従軍慰安婦研究が依拠しているかのように装いたいのだろう*11

吉田清治を主体的に祭り上げたのは朝日新聞だな。
そして、吉見義明は国連のクマラスワミ報告が吉田清治を取り上げていることに関して、コッソリと「あれは捏造だからやめてくれ」と要請している。
でも、実際に広まったのは吉田清治の主張するような内容。
米国上院にもこれに基づく決議案が提出されている。
吉見義明も、吉田清治の嘘に気づきながらも「広義の強制」なる概念を持ち出して正当化している。


で、あんたは吉田清治の見解を持ち出したわけではないから、これについて直接謝罪訂正する必要は無い。
しかし、従軍慰安婦問題を論じるにあたって、肯定派の足を引っ張っているのは吉田清治の見解であることも事実。
これが国際社会に広まっている以上は、まずはこの誤解を解くことからはじめるのが筋。

何度も指摘しているように吉田証言は歴史研究において重視されてなく、吉見教授も1992年時点で慰安婦関連資料を網羅した『従軍慰安婦資料集』でも、全く資料として採用されていない。吉見教授が強制性について言及しているのは吉田証言とは別の理路であり、謝罪訂正する必要はどこにもない。
朝日新聞報道も吉田証言は5回報じたくらいで、もちろん唯一の資料として依拠していたわけではない。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm*12

で、「大々的に」とりあげたという根拠が夕刊コラムですか。「大々的」というからにはてっきりトップ記事か社説にでもなったのかと思ったのですが、いつもながら大袈裟ですね。


私が知る限り、朝日新聞吉田清治氏をとりあげたのは1990年6月19日朝刊(社会面)、1991年5月22日朝刊(声)、同年10月10日朝刊(声)、1992年1月23日夕刊(窓)、1992年5月24日朝刊(社会面)、の5回くらいで、その後は途切れてしまっています。記事の内容も要するに吉田氏の動静に即してその言い分をそのまま紹介しているだけですし。

朝日による吉田証言の掲載が92年半ばで途切れていることからも分かるように、「時」と「場所」という肝心な点がぼかされている吉田証言は事実を検証する手段としては使えないので、まともな研究者やジャーナリストは既に何年も前から重要視などしていません。未だに吉田証言を「重要視」しているのは「従軍慰安婦」記述を教科書から葬り去ろうと画策している連中くらいしかいないんじゃないですか。(実際、私が「吉田清治」なる名前を知ったのもそっちの方向からでした。)

もし吉田証言が資料として依拠されているという誤解があったとしても、単に歴史の通説に目を通せば簡単に解けるのだから、そうすればいいだけのこと。吉田証言がくりかえし話題にされたのは歴史学に反する立場からで、現在も有名なのはそのためだろうという印象は私も持っている。もはや採用されていない一資料に対する疑義を主張することで、学問全体への疑義をさしはさもうというなら、歴史修正主義疑似科学の典型でしかない。
一つの資料を過大評価する詭弁は、吉田証言が共同声明の原因になっている「証拠」を私に問われた時、関係者が吉田証言を取り上げていただけのことを提示した態度にも表れている*13

この共同声明を出した女性団体ってのは、後の「韓国挺身隊問題協議会」だよね。
ここの代表になってるのが、尹貞玉。


彼女は、1990年1月にハンギョレ新聞で慰安婦問題に関する連載記事を執筆している。
この連載記事には吉田清治の著作が証拠として挙げられている。


この記事について検索したら、皮肉にも「歴史修正主義反対」を掲げる次のブログが該当箇所を引用していたので参照すべし。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1

証言を唯一の根拠として共同声明が出されることと、それ以前の研究で様々な証言を集めた時に資料性の低い証言も入っていることの区別がついていない。Stiffmuscle氏のエントリで取り上げられている西岡力氏でさえ、尹教授が関係者の証言や資料を集めたりという取材を行ったことを指摘しているというのに。
くわえて指摘すると、mumur氏の吉田著作とその報道を発端と見なす主張は、問題の認知が即座に行なわれる主張との矛盾もきたしている。1992年の報道が発端ならば、1990年の共同声明は何だったのか。そう批判されると、朝日新聞が報じる以前の吉田清治著作自体に発端を求めつつ、撤回や謝罪はしない。しかし吉田清治著作で最も有名だろう『私の戦争犯罪』が出版されたのは1983年であり、1990年代初頭に朝日新聞で取り上げられるまで十年近い「ブランク」がある。問題が指摘されることと、それが社会に認知されることに期間がある例をmumur氏自身が示しているわけだ。


最後に、いったん相手の批判を認めながら次の瞬間にはなかったことにして自説をくりかえすだけの主張。
とりあえず白馬事件の例を示そう。「最初は、従軍慰安婦問題で否定派が否認しようのない出来事として白馬事件に言及するべきだろう。」とだけ指摘した私の文章から、mumur氏は「このクズを持って母集団全体がクズ」という主張を読み取った*14
それに対して私は、処分を行なわなかったがゆえに白馬事件は日本軍の組織的な問題であること、そして処分がされていないことを言及していないmumur氏の主張は破綻していることを指摘した。下記コメントを見ての通り、mumur氏も「処分しなかった責任」は認めた*15

さらに指摘するなら、誰が「このクズを持って母集団全体がクズという」主張をしているだろうか。
白馬事件が日本軍の組織的な問題としてくりかえし指摘され続けるのは、オランダ人リーダーの抗議を受けて日本軍が慰安所を閉鎖しつつも、関係者の処分を行なわなかったことにある。
mumur氏は白馬事件において日本軍が事件の首謀者を処分しなかったことに全く言及しておらず、組織の責任について論じた主張は全て根本から破綻している。

何で崩れるの?
首謀者を処分しなかったのならば、「処分しなかった責任」があるだけでしょ。


「このクズを持って母集団全体がクズ」という主張をしているのは他ならぬお前。
何故なら、従軍慰安婦問題の象徴としてスマラン事件を持ち出したのはお前だから。

次は、「処分しなかった責任」が組織の問題であるかどうかを論じる流れにならなければならないはずだ。しかし見ての通り、mumur氏は次の段落に移ったとたん、私が「このクズを持って母集団全体がクズ」と主張しているなどと再びくり返す。はたして「処分しなかった責任」という問題はどこに消えたのだろうか。
いったん相手の批判した各要素に言及するが、文章を別けた次にはなかったことのように最初の主張をくりかえす。そしてその「最初の主張」とは、固定観念に基づいた同語反復の一種でしかない*16
そしてよく見れば、先に指摘した抗議運動の有無や、吉田清治証言の意味といった論点でも、同様の詭弁が用いられている。つまり、いったん「見事に防衛線を貼った」と評しつつ、次の主張にいかされていないという「不思議な心理」だ*17


こうした詭弁は、mumur氏が推敲をまともにせず長々としたコメントを短く分割して書き込むことで、気づくにくくされている。何度も批判されながら態度を改めようとしないのは当然だろう。いざコメントをまとめようとすれば、実態として私の批判に応じられていないことと、主張が薄弱であることが明らかになってしまう。どれも関係者の証言や、隠滅を逃れた資料を崩せる内容ではない。
もちろん、このような詭弁を用いている限り、mumur氏が歴史学の通説を覆せるということも考えられない。このエントリの最初で指摘し、別エントリでも書いたように*18、現在の歴史学における内容については全く反論できていないからだ。

*1:一例として(2010/08/13 07:25)を取り上げる。

*2:私は吉見義明『従軍慰安婦』から見解を引いただけであって、この評自体がmumur氏の勉強不足を示している。

*3:それぞれ(2010/08/14 09:36)(2010/08/16 01:12)での書き込み。

*4:それぞれ(2010/08/16 06:53)(2010/08/15 19:39)(2010/08/16 21:33)での書き込み。

*5:(2010/08/17 08:51)での書き込み。

*6:もちろん、抑圧者同士で抑圧が行なわれている可能性もある。シンドラーに救われたユダヤ人がイスラエルで受けた言葉も一つの例だ。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100814/1281802851

*7:http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-04.htm

*8:http://www.nhk.or.jp/special/onair/100801.html「シリーズ朝鮮半島 第5回 日韓関係はこうして築かれた」感想は後日の予定。

*9:(2010/08/13 07:21)の書き込み。

*10:mumur氏は(2010/08/14 11:48)で私の文章を引用しているものの千田夏光著作については全く応えず、その後は全く言及していない。

*11:(2010/08/13 07:22)での書き込み。

*12:引用時、適当に改行を排した。

*13:(2010/08/16 08:47)での書き込み。

*14:それぞれ、http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100811/1281536907のエントリ本文とコメント欄。

*15:(2010/08/13 07:25)での書き込み。引用内引用は引用枠記法へ変更した。

*16:白馬事件のやりとりを見ても、「このクズを持って母集団全体がクズ」と「従軍慰安婦問題の象徴としてスマラン事件を持ち出し」が等号で成り立っていないと、mumur氏のような主張はできない。

*17:他の例として、ハンセン病隔離でも問題と認識されるようになったのは後年であるという指摘に対するmumur氏の応答(2010/08/15 20:41)等がある。

*18:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100813/1281715282