法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

被爆者の講話をさえぎった市立有明中学校長が、予想通りの人材だった

先日の被爆者の講話を校長がさえぎり、校長室で「写真はでっちあげだ」とか「自虐史観だ」とか主張していた件について - 法華狼の日記で話題にした、被爆者の講演をさえぎった本田道隆校長だが、産経新聞でインタビューされていた
「中韓の主張を子供に刷り込まないでほしい」長崎被爆の伝承妨げる“政治の語り部” 島原・有明中の校長に聞く(1/4ページ) - 産経WEST

語り部の末永浩さんは旧日本軍の加害行為を子供たちに示した。中国、韓国の一方的な主張に沿った内容です。こうした個人の考えを、成長段階の子供に刷り込まないでほしい。教育上、止めざるを得なかったのです。

 末永さんは原爆投下直後の長崎市内の様子を語り終えると、突然、リュックサックからラミネートされた写真を4、5枚取り出したのです。韓国・ソウルにある西大門刑務所歴史館の展示物や、マレーシアで日本兵に銃剣で刺されたと主張する男性、中国遼寧省の平頂山殉難同胞遺骨館の展示物などでした。

マレーシア華僑虐殺は、村落すべてを虐殺するほど苛烈であり、赤ん坊を殺したという日本側の加害証言もある*1。もちろんマレーシアは中国でも韓国でもないし、外国の一方的な主張にのみ裏づけられてはいない。
平頂山事件も、そのような虐殺事件を日本軍が起こした事実に日中間で争いはない*2。3000人という中国説へ言及したことを一方的だと考えるのだとしても、では400人の虐殺があったというなら許したのだろうか。

話の内容は 被爆体験でもなんでもありませんでした。

先日のエントリで書いたように、被爆した瞬間だけの目撃談のみを被爆体験と定義しないかぎり、補足となる歴史を言及するのは当然だろう。
むしろ日本を「一方的」な被害国に位置づけまいとする、「中立的」な態度とすらいえるのではないだろうか。

 こうした話を聞けば、発育段階にある生徒は「日本軍は悪かった」という感想を持つでしょう。さきの大戦中、自分たちの先人が、いかに悪かったかが、刷り込まれてしまうのです。

「日本軍は悪かった」という認識は、現在の日本も公式には共有している概念だろう。やはり「中国、韓国の一方的な主張」ではない。
それに、被爆体験をつたえた時に、米軍が悪いという刷り込みがされることを本田校長は恐れなかったのだろうか。思いあたらなかったのだとすれば、それは選択的な中立性でしかない。少なくとも産経インタビューでは、そうした刷り込みを恐れる発言は最後まで出てこない。


さらにインタビューのつづきで、講演前から本田校長が介入していたことが明かされた。
「中韓の主張を子供に刷り込まないでほしい」長崎被爆の伝承妨げる“政治の語り部” 島原・有明中の校長に聞く(2/4ページ) - 産経WEST

 有明中学の場合、担当教員が平和学習の授業内容案を作成します。

 当初、教員が示した内容には、日本軍の加害行為の学習として南京事件などが盛り込まれていました。客観的な事実が定まっていないので排除しました。また、語り部については、すでに末永さんに決まっているという話でした。

南京侵攻において日本軍が虐殺をおこなったことは日中共同研究でも事実と認識されている。排除できるほど客観的な事実が定まっていない事例ではないだろう。
犠牲の規模において加害側と被害側で争いがあるからといって、それへの言及そのものを加害側が排除することは、けして客観的な態度とはいえない。
そもそも加害側と被害側で争いがあるのは、原爆被害でも同じだ*3。日本国内にかぎっても、原爆症の認定などで幅があった。

 実は末永さんは、私と同じ元社会科の教員です。末永さんは日教組系の「長崎県職員組合」の組合員でした。彼らは平和学習に非常に熱心で、かつ教育界での発言力も強いように感じています。

 私は、末永さんに対して被爆体験だけを語ってもらうよう、担当教員を通じて事前に何度も念を押しました。しかし、話の内容は心配していた通りだった。

社会科の教員なのに、日本の歴史教科書にも記載されている南京事件の実在を疑っていたのだろうか。
それに担当教員をつうじて念を押したというが、たとえば「一方的な主張」をしないようにという言葉としてつたわっていたならば、いっそう日本軍の加害に言及するべきと解釈されてもおかしくない。逆に、本田校長が介入した時点で講演者が決まっていた以上、その講演内容に後から条件を課すことが難しかったのかもしれない。

「(資料館の展示写真について)事実かどうかわからないじゃないですか」などと伝えましたが、末永さんは「すいません」を数十回繰り返すだけ。事情を聞こうとはしませんでした。

 社会科の教員ならば、真偽のはっきりしない資料を持ち出すのはいけない行為だと分からないのでしょうか。1年が経った今になって、なぜ記者会見してまでこの問題を言うのでしょうか。

社会科の教員なのに、日本の歴史教科書にも記載されている南京事件の実在を疑っていたのだろうか。
いったい本田校長の認める真偽がはっきりした資料とは何なのだろう。

 戦後70年がたちました。

 いつまで韓国や中国に謝り続けるのか。謝り続ければアジアの人々と、日本の子供が未来志向の関係を築けるのでしょうか。フェアな外交ができるのでしょうか。私はそうは思いません。

国家の加害を謝るべきことと考え*4、未来志向やフェアな外交にはならないという。それならば、原爆という米軍の加害もつたえるべきではないという結論にもならないのだろうか。
すでに日本の歴史学で認められている加害を、今になって客観的な事実が認められていないと主張することは、過去の謝罪を打ち消す行為という自覚がないのか。
いずれにしても教育者としてあるべき言葉とはとうてい思えない。

*1:マレーシア華僑虐殺 「ノンチック発言」をめぐって

*2:平頂山事件で紹介されているように、最右派でも数百人単位で虐殺されたことは認めている。

*3:確実なこと - Apeman’s diary

*4:それ自体は必ずしも問題ではない。ただ、当時に加害をおこなった主体や責任者と、国家政策の責任を負う政府と、その政府を監視して歴史を記憶するべき国民とでは、それぞれ謝るとしても形式や理路は異なるべきだろう。