フェミニズムの男性にとっての意味とは、モテモテになれるメソッドじゃなくて - 法華狼の日記への反応のいくつかに、ひとつの思考実験をぶつけてみたい。
もともと子供を産みたくない産ませたくない人々に異性をあてがって子供を産ませるくらいなら、産まれようとする子供の養育に社会のリソースをつぎこむのが「合理的」*1ではないか。
それでこそ子供を持ちたい家庭が安心して産める社会になるはずだ。
そもそも「モテモテになりたいんじゃー」という気持ちと、「子供を産みたい育てたい」という気持ちは、イコールではないだろう。
今のところ子供を産むのは女性の肉体が基本なのだから、もし「機械」*2的に少子化対策をおこなうなら、それは男性への優遇ではなく女性への優遇になるはず。
もちろん、この思考実験も真面目に受けとろうとすれば多くの問題がある。
これは、男尊女卑や家父長制の存続に少子化対策を持ちだす論理への、あくまで疑問というか皮肉のようなものにすぎない。
さまざまな理由で子供を持たない人々の対等な恋愛も当然のように自由であるべきだし、社会によって疎外されてはならない。