法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ブラック・ジャック』マリア達の勲章と、成長しない世界と

アニメにおいて、現代の戦争を直接的な題材とした作品は、案外と少ない。
ロボットアニメという様式美で現在と切り結ぼうとした高橋良輔監督『ガサラキ』『FLAG』くらいだろうか*1押井守監督も、ロボットアニメの様式に合わせるか、虚構と現実のあわいにある作品ばかり。
他は近未来であったり、近代以前であったり、全くの異世界であったり、宇宙戦争であったり……戦争を普遍的な題材に解体し、アニメが得意とする寓話にしたてる。日常を舞台とするアニメで戦争が題材になることもあるが、基本的に太平洋戦争の思い出ばかり。悪いというわけではなく、むしろ重要なのだが、今そこにある戦争に全くふれる作品が少ないというのは、いささかさびしい。
そうしたアニメ群の中、正面から現代の戦争を題材とし、かつアクション優先ではない物語を展開した作品がある。1993年に制作されたOVAブラック・ジャック』だ。


OVAブラック・ジャック』KARTE3「マリア達の勲章」は、原作をふくむ関連作品において、最も空しい物語の一つだ。主人公ブラック・ジャックはもちろん、誰一人として救いがおとずれることはない。難病治療によるカタルシスすらない。
ある時、ブラック・ジャックはマリアと名乗る女性から重要人物の治療を依頼される。しかし患者は今は別の場所にいるので、待つように告げられる。
治療の対象は、オルテガ共和国の独裁者と呼ばれるクルーズ将軍。革命により生まれたオルテガ共和国は麻薬の供給元と指弾され、独裁者はユナイツ連邦の主導で逮捕され裁判を待つ身となる。しかし独裁者は末期癌にむしばまれていた。
マリア達は護送中のクルーズ将軍を命がけで奪還し、ブラック・ジャックに逃避行を続けながらの手術を求める。末期の癌にむしばまれた将軍は、ブラック・ジャックの技術をもってしても、ほんのひととき命長らえるだけしかない。
マリアはいう、ユナイツ連邦の逮捕理由は全くの捏造であり、将軍はオルテガ共和国になくてはならない英雄だ、と。連邦との戦いを続けるため将軍を奪還して健在を示さなければならない、その後に死ぬのだとしても、と。
将軍の汚名をそそぎ、祖国への帰還を果たすためだけに、ブラック・ジャックはゲリラ達とともに長い逃避行を始める……
追撃戦の中、兵士達は敵味方の別なく死んでいく。惜しむ間もなく、余韻もなく、密林の虫けらごとく、あっさりと。独裁者あるいは英雄と呼ばれた男を、ほんの少しだけ長く生かすためだけに、はるかに多くの血が流され、命を奪いあっていく。
そして将軍の祖国への妄執が故郷への郷愁であったと明かされる時、ブラック・ジャックはメスでなく銃を握り、敵へとつきつける。しかし医術の天才でこそあれ、高度な政治的問題を解決する能力などあるわけがない。敗北は最初から明らかだ。だからこそ、ブラック・ジャックが「敵」を撃つことはなかった。
しかし全てが終わってなお、ブラック・ジャックは虚空に銃を向ける。勝利しようのない現実の理不尽さ、それ自体を撃つために。


出崎演出の豪腕さ、杉野作画の濃厚さ、そして信念を持つ者達の牽引力だけが物語を成り立たせている。
正直にいえば、物語は古臭い。導入から結末まで、手垢にまみれたとすら感じる展開ばかり続く。マリアがブラック・ジャックにせまる場面など『ゴルゴ13』かと問いたくなるし*2、結末はほとんど任侠映画の勢いだ。設定の古臭さも困ったもので、登場する銃火器や特殊部隊のデザインもまた『ゴルゴ13』のごとき微妙さ。リアルな特殊部隊物として期待してはならない。
しかし、古臭いはずの展開なのに、社会派的な見地からしても現代に通じる部分がある。なぜだろうか。


将軍を拿捕して裁判にかけようとするユナイツ連邦の国旗はマレーシアやリベリアの国旗と酷似しており、どこの国をモデルにしているかは明白だ*3DVDBOXブックレットの解説でも、モデル国を示唆する記述がある。

石油の利権を得るため、小国オルテガ共和国の元首を麻薬犯として逮捕し、不都合な情報は隠滅して、「世界の警察」を気取る大国ユナイツ連邦の姿は、まるでアフガニスタンに侵攻した某国そのもの。

DVDBOX発売時にイラク戦争を例に上げることはできなかったのだろう。オルテガ共和国のクルーズ将軍という名称からはノリエガ将軍の名前が想起されるし、作戦が不成功した例としてハリウッド映画の題材ともなったソマリアのアイディート将軍拉致もある。
この物語は、特定の歴史を題材としたわけではなく、制作当時の時事問題を取り入れたわけでもなく、むろん予言でもない。モデルとした国が全く同じことをくりかえし、作戦個々の成否とは別に世界を混沌へ導いている、その現実を反映しているのだ。
もちろん、正義を称する大国の利己主義で小国が蹂躪されるという主題は、普遍的に受け取るべきだろう。この作品もけして現実の一国のみを批判対象とするものではない*4。ただ、この作品を見るたびに、同じ過ちをくりかえす某国のことを思い出してしまうのだ。

*1:監督他、制作者自身による発言からすると、あくまで物語にリアリティあるディテールを付加する意図にすぎないというが。

*2:それでも何もしないストイックさは、出崎版ブラック・ジャックらしいハードボイルドぶりではあるが。

*3:名称からするとソビエト連邦も意識しているかもしれない。話が前後するが、アフガニスタン侵攻はソビエト連邦も行っている。しかし作戦の性格や各デザインから見ると、別の大国を指していると考えるべきだろう。

*4:最近でも、チベットウイグルにおける中国、グルジアにおけるロシア、等々……大国が軍事力をかさにきて粗雑な介入を行う例は枚挙にいとまがない。