法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ブラック・ジャック』サンメリーダの過ぎ去ろうとしない一瞬

出崎統監督は、よく原作の展開を改変してアニメ化することで知られていた。さらには原作からアニメへ移し変える過程だけでなく、脚本からも大幅に内容を変えることがよくあったという。
板垣伸のいきあたりバッタリ!第284回 初めてのてーきゅう | WEBアニメスタイル

ライターさんが「前に自分の脚本が出崎コンテになった事がある」と仰ってて、その方いわく「出崎さんはヒドいですよ、Bパート(後半)まるまる使わずオチ(ラスト)が全然違うんだもん!」……らしいです。しかもその作品は出崎さんが監督ではなかったらしく、つまり出崎さんはコンテのみ参加の作品でも――

しかしOVAブラック・ジャック』KARTE5「サンメリーダの鶚」においては、いくつかの要素が足し引きされつつ*1、原作と全く異なる展開となっているのは結末のみ。しかし、たった一つの改変で主題が読みかえられ、OVA独自の奥行きが生まれた。
ブラック・ジャック カルテV サンメリーダのふくろう|アニメ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
原作は「過ぎ去りし一瞬」という中編エピソード。経験したことのない戦争の記憶に苦しみ、その記憶が蘇るたびに存在しないはずの傷が開くという青年を主人公として、その症状の正体をさぐっていく物語だ。そしてエルサルバドルの内戦で活躍した医師エルネスト*2と出会い、青年の症状が生まれた経緯が解明され、ブラック・ジャックが医師へ命と自由を与える。
かなりキリスト教のイメージが濃いエピソードであり、青年の傷と出血はスティグマであろうし*3、幼少期の青年が乳を飲む姿は母子像そのものだ。
全体としてそつなく、『ブラック・ジャック』というタイトルから期待されるような娯楽描写をほぼ押さえている。もともと「過ぎ去りし一瞬」は『ブラック・ジャック』の週刊連載終了後に短期集中連載されたもので、原作で最も頁数が多い。比較的に後味の良いハッピーエンドであるところなどもふくめ、『火の鳥』の「太陽篇」に似た位置づけといえよう。


しかし原作では、手術成功をクライマックスに持ってくるため、かなり不自然な展開がある。エルネストを内戦時のゲリラ協力者として内偵し、今にも捕縛しようとしていた政府軍が銃撃してしまう。その理由は、ただ末端への命令伝達ミスでしかなかった。
その展開がOVAでは改変され、エルネストが銃撃される理由は意図的なものとされた。裁判で過去の問題が蒸し返されることを恐れた上層部が、口を封じようとしたのだ。その時、長年にわたってエルネストを内偵していた少佐が叫ぶ。「我が国は、民主的な法治国家として、再スタートを切ったのではなかったのですか!」と。近年のアニメにおいて、これほど力強く民主主義を渇望する台詞も珍しい。そして、長年にわたって陰湿にエルネストを追っていたと思われた男の印象も、民主主義を求めたがゆえ開かれた裁判を追い求めた若者へと、様変わりした。
銃撃された展開が自然になるだけでなく、銃撃した側の人物像にも奥行きが生まれ、ブラック・ジャックの手術へ政府軍側が助力する展開もドラマとなった。


原作では、ブラック・ジャックが賞賛したエルネストの医療技術が失われ、ゲスト主人公の青年の記憶も遠い国の歴史として解明される。全ては、過ぎさった一瞬のできごと。ブラック・ジャックは手術を通して、いわば痛みの記憶という病巣を切り離した。
OVAでは、エルネストの命は救われない。そして内戦の記憶が歴史の一頁として封じられることもない。戦いが終結したとしても、その記憶は人々に受け継がれるのだし、不断の努力で維持しなければ自由で公正な社会は存在しえない。そして、その一瞬一瞬のいとなみが歴史となり、未来へ繋がっていくのだ。

*1:知らないはずの記憶を持っている証明となる、オリジナルの数え歌が印象的。

*2:顔は全く違うが、その設定はチェ・ゲバラに似た印象を受ける。なお、医師がエルネストという名前であることは、OVA版オリジナルの設定。逆に、サンメリーダ村がエルサルバドル共和国にあるという原作の設定は、エルガニア共和国へ改変されている。

*3:原作では移植した皮膚の傷が開くというメカニズムとなっている一方で、OVA版では精神の作用のみで出血をしているかのように描かれている。OVA版は疑似科学的な設定を排しつつ、より宗教的な描写になっているといえるか。ただしASIOS『謎解き超常現象』という書籍によると、スティグマが精神の作用のみで発現しうるという説は疑わしいらしい。歴史的に聖痕を持つ人々の多くで、意識的に自傷をしていた様子が記録されているという。