法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

どこに違いがあるのかしらない人たち

陰謀論を認めさせたい人たち - 法華狼の日記をあげた時点では、トラックバックが来ていなかったため、大屋雄裕教授*1がもうひとつのブログエントリをあげていたことに気づかなかった。
違いのわからない人たち - おおやにき
前後するが、反応については全く問題ない。

私ははてなのシステムをまともに利用したことがなく、それがどう動くものなのかはよくわかっていない。また要するに多忙なので職業上読む義務のあるものと自分で読む価値があると思ったもの以外は読まないように心がけており、今回はてなダイアリーで法華狼氏が書いた内容に気付いたのはtwitterで(はてなIDコール(@hatenaidcall)からの)メンションが飛んできたからである。というわけで、繰り返して言うとどこに違いがあるのかしらないがメンションの飛んでこなかった法華狼氏・11月28日の第2の記事は(12月2日に次のメンションが飛んできて第3の記事に気付くまで)読んでいなかった。そういうわけで申し訳ないのだが私の反応とか読むことを期待されるのであれば何らかのpush通知をお願いするところである。

私自身もよく理解していないし*2、それぞれのWEBサービス側の機械的な問題があるのだろう。
ただし「第2の記事」に気づかずとも、「政治主導とやらが少数派の意見や権利を守るという観点から見た場合に極めて大きな危険性を秘めていることについてはそろそろ理解していただきたい」という文章の存在は、気づくことができたはずである。
今回のエントリにしても、「政治主導」という基準を大屋教授自身がブログエントリで持ち出し、それを私が引用したという順序を忘れているようだ*3

法華狼氏は、「「法制局審査を通っている」が「最低限基準」を満たす証拠というのは詭弁。/たとえ「官僚主導の方が正しい傾向がある」という命題が真であろうとも、「官僚主導であれば正しい」とはならない。」と批判しておられる。第一に立法のイニシアティブが政治家にあるか官僚にあるかという問題と制度としての法制局審査をパスしているかを混同している点でこの批判には大きな欠陥があるのだが(政治主導の政策だが内閣提出法案として実体化するという事例もあれば、官僚主導だが法制局審査を回避するために議員立法法案としてげふんげふん)、その点を除いても過去における圧倒的な確率の差異を無視するものだということになるだろう。

もし混同していると主張するならば、その批判は大屋教授自身にまず向かわなければならない。

また、「デモを許容できるかどうか政府権力が判断すること自体に、さまざまな危険性がある。/ついでにデモ一般を在特会の街宣行為と同列に論じているのも、不見識だろう。」と書かれているが、すでに書いた通り在特会の街宣行為がデモと自称しているのは事実であり、自称デモの中から許容可能なものとそうでないものを切り分けるなら外形的な基準(デモの様態とか音量とか時間場所とか)によるしかないだろうし、その判断も第一義的には警察など、最終的には裁判所という国家権力によるしかないように思われる。しかし法華狼氏はこのような見解を批判されるように思われるところ、在特会のものを含めて自称デモであれば何でも許容されるべきで国家権力はそれらを放置しなくてはならないという結論はおそらく採用されないので、結局は我々のものと在特会のものはとにかく違うのであり、国家権力は前者には干渉せず後者は取り締まるという差別的な取り扱いをすべきであり、その理由は我々が我々だからだと主張していることになるであろう。はしない本音と言うべきだろうが、どちらの見解がデモクラシーにとってより危険かは、もはや論ずるまでもないように思われる。

相手が書いてないことを想像して「はしない本音」と評価するあたり、もはや大屋教授は陰謀論者であることを隠す気がないようだ。
私は、現在の特定秘密保護法案に反対するデモを手放しで肯定する立場ではない。危険性があるという主張に何でも許容されるべきという意味をこめるつもりもない。批判対象である政府権力が判断することと、第三者的な国家権力が判断することが同じことだとも思わない。国家権力が放置すればデモを批判することができないとも考えない。
それに、デモの「外形的な基準」として示されている内容を見ると、在特会の主張内容が名誉毀損などに該当する可能性すら考慮にいれないのかと首をかしげる


さらにツイッターの反応を見て、ますます首をかしげる

「素朴な多数者支配になり得る」と「審査が入る」という微妙な違いを理解するように求めているのに、「デモを許容できるかどうか政府権力が判断すること自体に、さまざまな危険性がある」という主張から「何でも許容されるべきで国家権力はそれらを放置しなくてはならない」といった解釈ばかり引き出すのは、いったいどのような論理的な帰結というのだろうか。
何より、「政治主導」という基準を大屋教授自身が持ち出したことに、いつになったら気づくのだろうか。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。

*2:逆に不必要な通知がとどいてしまう問題のエントリをあげたくらい。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131204/1386169878

*3:取消し線は原文ママ