他人の夢に入りこむ技術を使ってアイデアを盗む仕事をしていた主人公が、他人に偽のインスピレーションをすりこむ仕事を依頼される。その困難な仕事を行うために、夢の奥深くへわけいった主人公は、やがて自分の過去へと向き合わざるをえなくなる。
クリストファー=ノーラン監督が脚本も手がけたオリジナルSF映画を、日曜洋画劇場で視聴した。
夢の世界だが、物語としてのルールは厳密で、あくまで仮想現実テーマのSF亜流といったところ。夢の中で夢を見るという階層構造も、『13F』*1等の映像作品が先行して存在する。謎を残した結末も、仮想現実テーマで多用されるパターン。
SF映画として良かったのは、単に目先を変えただけでなく、きちんと「夢」という設定が新たな効果を上げていたこと。夢だから、現実から仮想現実へ移行したことに標的が気づきにくいわけだし、落下するだけで現実に戻れるからクライマックスでテンポが殺されない。仮想現実世界を構築するための準備や道具も少なくてすむ。
何より、現実の肉体が感じていることが部分的に夢へ反映されるギミックがいい。重力が変化する廊下でのアクション等、独自性の高い映像表現が楽しめた。異なる階層でのドラマがシンクロすることにも説得力を与え、夢から脱出しようとする終盤で各階層のクライマックスが同時進行する盛り上がりもあった。
夢という設定を抜きにしても、階層ごとに展開されるアクションの種類が異なっていて、同時に複数の娯楽アクションが楽しめるとともに、階層を視覚的に区別しやすくしており*2、面白さと平易さが緊密に結びついた構成もよくできている。
ドラマとしては、主人公が夢を操作する組織に追われる立場となってから物語が始まるところが、意外で面白かった。目的が正義のためでは全くなく、かといって悪しき権力を背景にしているわけでもない。チームのメンバーを集めたり、標的に長時間の夢を見させようと策を練る場面など、アウトロー達が協力するクライムアクションそのものだ。
主人公は、自身の受けた依頼が正義か悪か悩まず、ごく個人的な後悔だけに徹頭徹尾こだわっている。妻に対しては夢を操作することを悩んでいるのに、標的の夢を操作する仕事については迷わず遂行を続け、しかしその矛盾しているかのような感情が見ていて不自然に感じられない。状況が変転を続けつつも、その場面ごとの目標が明確なタイムサスペンスが展開されるため、素直に物語に入っていける。
演出面で見ても、仕事を邪魔する私情の象徴だった子供達が、最下層の夢では導く象徴と化す場面のように、心情変化にしたがって同じ絵でも意味も変わる細かな技巧が支えているのだろう。