キャスリングとは、とられたら負けるので守るべきキングと、前後左右に直進できて守りにたけたルークの位置を一手で交換する、チェスにおける特殊な手。
杉下右京とチェス盤をはさんで向きあう男、奥田剛。十五年前に妻子が殺され、被害者遺族の第一発見者でありつつ、一時期は犯人と疑われていた。
ふたりはチェスをしながら、奥田のアリバイの有無について駆け引きする。そして杉下の指示で現地調査をしている亀山薫が罠にかかったかと思われたが……
徳永富彦脚本で、奥田を演じる佐野史郎の演技力をひきだすように主観に満ちた虚実さだかではない物語が展開されていく。監督は安養寺工。
以前に佐野がゲスト出演したエピソードとは違って、序盤からサイコサスペンスな雰囲気に満ちている。奥田の言動はいかにも怪しげで、保険金目当てに妻子を惨殺した凶悪犯のようであり、しかし杉下を翻弄するように自分が真犯人とにおわせたりもする。
山荘の一室における杉下と奥田のかけあいだけで物語が進行する趣向は舞台劇のよう。クライマックスで絵画調の過去の風景に現在の奥田が迷いこむ珍しいVFXパートも書き割りから書き割りへ移動する演劇の延長と思わせる。
事件の真相自体は駆け引きのなかで推察されたとおりで、杉下の推理自体は特にひねりがあるわけでもない。しかし何をめぐって杉下と奥田が争っているかという枠組みの謎解きが面白く、長期刑事ドラマには珍しいジャンルをたびたび展開するこの作品の良さが出ていた。
家族のドラマとして見ごたえがあったのもいい。妻子をおいて外出していたことで自分だけ助かった男はキャスリングに成功したようであり、また失敗したようでもある。あるいは見たくない現実から逃避したことが一種のキャスリングであったかもしれない。
亀山夫妻のなにげない冒頭の日常シーンも、実際に美和子スペシャルが青く発光しているかのようなギャグに笑ったが*1、愛しあう家族でも距離をとりたくなることがある伏線になっている。だからこそ最後の説得にも意外な説得力があった。