法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『1917 命をかけた伝令』

 第一次世界大戦さなかの欧州戦線。塹壕でふたりの若いイギリス兵が前線への伝令を命じられる。ドイツ軍の後退は意図的な作戦であり、追撃すれば大打撃を受けるという。ふたりは戦闘を止めるため、霧のたちこめた戦場へ進んでいく……


 2019年の英米合作映画。『ジャーヘッド』のサム・メンデス監督が、まだ個人の奮闘が意味をもつ戦場の一個人を、かぎりなくカットを割らない映像で追いかける。

 初報でも感じたが、ワンカットの長回し撮影というものは、舞台劇のようになるかドキュメンタリーのようになるか、どちらか両極になりやすい。その傾向の両方を味わった。
第一次世界大戦をワンカット長回しで描いた映画『1917 命をかけた伝令』が面白そう - 法華狼の日記

ハリボテのような廃墟など、メイキングと見比べると、舞台劇のような印象もある。

かなり時間は早送りしているはずで、登場人物のエモーションを断ち切らないために長回しをおこなっているのではないかと予想する。

 連続した緊張のなかに衝撃と弛緩が断続的に挿入されて飽きさせない。戦場を疑似体験するアトラクション的な映画として完成度が高かった。


 撮影技法としては、人間や壁をとおりすぎる場面や、暗がりに入る場面でカットを割って、デジタル技術でつなげている。しかし敵の攻撃で気絶するシチュエーションでは、明らかに時間が飛んで構図も変化している。おそらくカットを割らないことよりも、主観時間を観客と一致させることを重視している*1
 はっきりカットを割った気絶の前後でワンカットの生々しさの方向性が変わる。地をはうように戦場のさまざまな情景を泥臭く映してきたカメラが、主人公が覚醒してからは夢うつつのように作り物めいた世界を歩いていく。スポットライトのように照明弾が照らし、廃墟は広々としながら平面的な壁しか残っておらず書割りのようだ。


 ちなみにオーディオコメンタリーによると、廃屋での窓越しのふたりをタルコフスキーの影響と監督が語っていた。思えば長回しの挑戦もそうかもしれないし、過去作品で印象に残った窓ごしの演出もタルコフスキーの影響なのかもしれない。
『ジャーヘッド』 - 法華狼の日記

この映画では、手のとどかないものを「窓」の向こうに配置している。

 また、中盤にシク教徒の兵士がひとり登場している場面については、あえて史実にこだわらず現代につづいていることを描きたかったこと、たしかに軍は出身地ごとに部隊をまとめるのが通例だが該当場面は複数の部隊をまとめて移動させている最中ということ、シク教徒の部隊は1917年には壊滅したが登場するひとりは生き残りであること、といった説明もしている。
 その移動中のけだるい時間で別の場所に移動していることも意図的に場所を飛ばしていると説明している。これは先述したように主観時間の表現なのだろう。

*1:オーディオコメンタリーの序盤で、監督はワンカットではなくノーカットだと主張している。