法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第6話 鬱陶しい歌

宇宙空間での決闘となり、貧しい地球寮では予算がたりなかったが、なんとか推進機をつくりあげることができた。その試験のさなか、スレッタはエランへ会いに行く……


すでに公開されていた情報だが、さすがに特番が入るのが早すぎる。同じ大河内一楼シリーズ構成の『コードギアス反逆のルルーシュ』でもスケジュールが遅延し、第8話の次に予定外の総集編が入っていたし、最終2話は後日の放映になったが、2クール作品だったので今回よりはまだ良かった。
前回*1に感じた制作方針といきなり違って、キャラクター作画監督の人数も異常に多い。コンテ演出はひとりだが*2、演出補佐に複数入っている。もっと話数ごとの作画監督の個性を許容しても良いと思うのだが。
ただ、PROLOGUE*3をふまえた7話でひとまとまりのエピソードと思うと、後味の悪さもふくめてかなりよくできた物語ではある。同じ「誕生」というモチーフが印象を変えつづけ、主人公が祝うことが同じように死をまねきながら相手にとっての意味は変わる。
中盤で相手側の学生寮全体に声を流し、誕生日の歌をうたうことで、主人公が劇中評価どおり本当に鬱陶しく見えるし、それでいて嫌悪感はあまりおぼえない。他の子供たちもおおむね好意か、ささやかな善意で動いている。だから最後に動くのは、すべてを知る大人だけで、それも不本意な立場にいたひとりだけ。


その結末も予定調和といえばそうなのだが、本編の戦闘では相手を殺さないこの作品で描いたからこそ、死に自己犠牲のような意味などないことも浮きぼりになる。
結末でエランが救われたとすれば、主人公に与えられた死ではなく誕生にあった。そのはずだ。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:齋藤昭裕は『バトルスピリッツ』シリーズで時々見た名前。遠隔操作するビットを、合体分離するスレッタ側と赤い線で拘束するエラン側で視覚的に差別化できていて見やすかったが、これは演出家ひとりではなく設定レベルの方針か。とはいえ、特に引っかかるところもなく、物語の意図をよくつたえるコンテとしてよくできていた。

*3:hokke-ookami.hatenablog.com