法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

記事をつくるためには事実を羅列するだけではなく、なんらかの角度をつける必要があるということ

「墨東公安委員会@bokukoui」氏の下記ツイートにはじまるツリーが話題になっていた。


この一連のツイートは、日本の歴史学について無茶苦茶な難癖をつけています。それが900以上のRT、1500に近いいいねを集めている状況には、肌に粟が生じる思いです。この徳永氏のツイートの何がおかしくて、どうしてこうなったかについて、私の考えを以下に述べます。

論文はただ事実を羅列するのではなく、そこから新しい何を見いだしたのかという解釈が重要であり、査読意見もそれを求めていたのではと推測している。
しかし印象的だったのは、論文には新規性が必要だと指摘する本題の途中で、データを集めること自体にも価値があると留意しているところ。


もちろん、俺は歴史学の造る「星座」になんか興味ない、俺は俺の知りたいことを調べてるだけだ、という立場もあり得ます。マニアや好事家、在野の愛好家という立場ですね。徳永氏も「星座」に関心がないなら、そちらの道を目指されてはいかがかと思います。『歴史群像』とかいいのではないでしょうか。
さらにいえば、マニアのひたすらな事実発掘が、後から見直すと歴史の見方を変える手がかりを秘めていた、なんてこともあります。その典型例が私もやっている鉄道史です。こうして在野とアカデミズムの交流が豊かな成果を生むこともあるのです。私自身、在野の人を学会に引っ張り込んだことがあります。

卑近な事例になぞらえると、TVアニメを視聴する時でも、とにかく気になった部分をメモのように記録しておくと、物語がひとくぎりついたり完結した後にふりかえると、その気になった部分の意味や関連性が感じられてくることがある。
同時に、そのような気になった部分を記録しただけの段階では、仮に他人の作品解釈の助けになっても、その記録自体に独立した解釈として読ませるだけの価値はない……といったところだろうか。


ちなみに発端の人物は、偽ユダヤ人の山本七平に私淑するだけでなく、近年でも山本が「百人斬り」の虚構をあばいたと主張しているので、あまり主観的な主張を真に受けるべきではなさそうだ。

Josh.S.Tokunaga on Twitter: "ところが自身の狭い中隊経験をもとに想像力と緻密な推敲で歴史を明らかにする人も稀にいる。それが慰安婦問題や百人斬りの虚構を暴いた山本七平。しかし、山本のような人間は稀だし、山本は日本軍の恥部も平気で書いたから、タテ型小集団(戦友会)に安らぎを得る人たちからは蛇蝎の如く嫌われたわけ。" / Twitter
ところが自身の狭い中隊経験をもとに想像力と緻密な推敲で歴史を明らかにする人も稀にいる。それが慰安婦問題や百人斬りの虚構を暴いた山本七平。しかし、山本のような人間は稀だし、山本は日本軍の恥部も平気で書いたから、タテ型小集団(戦友会)に安らぎを得る人たちからは蛇蝎の如く嫌われたわけ。