法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

戦後女性が米兵によりそう写真の評価を見て、フェミニズムが失敗する理由を思った

note.com
「やまもとやま@mt_yamamoto_」氏による上記note記事が賛否とともに注目を集めていた。


 話題になった後、私個人の興味関心に近しい歴史的な写真の解釈を読んだところ、フェミニズムの表現が通用しない理由を痛感してしまった。

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 太平洋戦争終戦後の日本、アメリカの海兵に連れられて歩く日本人の女性(所謂パンパンだろうか)と、戦争で右足を失い物乞いをする傷痍軍人の姿である。
 旧い写真なうえに一瞬を切り取ったものではあるが、海兵は一応は物乞いに視線を遣り、ばつの悪そうな表情をしているように見える。一方で、女性達は一瞥すらくれていない

 出典が明らかにされていない写真である以上、さまざまな解釈が可能なのだが、それでも明確にいえること、いえないことはある。


 引用を前後するが、まず兵士について「女を含む社会のまなざしに背を押されて征く」という説明は奇妙だ。

 戦争に征く男のほとんどは戦争が好きで仕方なくて征くのではない。女子供のために戦うのが男の役目という常識を内面化され、その価値観に則して定められた制度のもとで、女を含む社会のまなざしに背を押されて征くのだ。

 当時の日本で主権をもつ天皇は男性であり、その国体護持が優先される家父長制のもとで社会が構成されていた。もちろん軍部や政府も男性でしめられていた。
 一応は普通選挙も成立していたが、選挙権をもっていたのは男性だけだった。当時の兵士を、誇らしい存在としてたたえて搾取したのは、義務教育で習うように男性の権力だ。
普通選挙とは - コトバンク

昭和初期に女性参政権を求める運動が高まったが,男女が平等に参政権を得たのは,第2次世界大戦後の 1945年衆議院議員選挙法の改正によってであった。

 たしかに女性運動なども戦争に動員され、翼賛体制に参加した責任はあるだろう。しかし男性を矢面に立たせる権力が女性にあったとは、形式的にも実質的にもいえるはずがない。
 note記事には「勝利できなかった男達の責任」とあるが、そもそも「侵略した男達の責任」を忘れているのだ。現場の男性と後方の女性だけを対比することで、意思決定の場に男性しかいなかったことが隠されている。


 話を写真にもどして、女性が当時「パンパン」と呼ばれた性産業従事者であったとしよう。
 そうだとすれば女性が自由に米兵へ媚びて、男性が排除されている風景といえるだろうか。たしかに性産業に従事する女性の主体性を軽視すべきではないが、それを男性に力がなかった証拠にできるはずがない。
 米国の占領を受けいれた日本は、自国の兵士が占領地で女性におこなった性暴力が自国で起きないよう、米兵の相手をするように性産業従事者を集めた。いわゆるRAAである。
女性史とは - コトバンク

日本政府は敗戦直後に占領軍兵士のための性的慰安施設設置を指令、業者は特殊慰安施設協会(RAA)を設け、職や家を失った女性を募り、これにあてた。

 中国大陸で進攻するソ連軍に対しても、日本人は女性を性処理のため矢面に立たせた。家族のかわりに未婚の女性をさしだした黒川開拓団の事例がよく知られている。
662人を日本に帰すため、ソ連兵の性的暴行に耐えた未婚女性15人の苦しみ しかも帰国後は中傷と差別が横行 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

挺身隊のような形で、決まった女性たちを交代で慰安婦として差し出せということです。それはソ連軍側から一方的に強制されての行為ではなかった。開拓団としての取引きでした。

 そのような政策を決めた日本人は、もちろん男性であった。米兵に「媚び」るよう女性に要求した男性側に立ちながら、その「媚び」をまるで女性が男性を搾取しているように主張する。「やまもとやま@mt_yamamoto_」氏は恥という言葉を知っているだろうか。
 そもそも、性産業従事者における「媚び」は一種の労働と解するべきだろう。男性にしても生活していれば社交辞令のひとつも見聞きし、あるいは自身も口にしたことはあるだろう。「一瞥すらくれていない」というが、一瞬の風景に内面のすべてが表れるわけではないはずだ。


 また、写真の女性が性産業従事者ではない可能性も考えるべきだ。
 写真の内容について、出典も不明で位置や時期の情報もはっきりとしない。同じ写真をアップロードしているページを見つけたが、女性については「米兵に寄り添う日本女性」という情報しかない。
昭和26年横浜・伊勢佐木町、野沢屋前のスナップ。2人の米兵に寄り添う日本女性。その傍らで募金箱を差し出す義足の傷痍軍人。敗戦を思い知らされる写真である。 | 横浜 本牧, 昔の写真, 横浜
 米兵と距離の近い女性が性産業従事者とは限らない。日本を占領して管理していたGHQには、タイピスト経理などで多くの女性が雇用されていたのだから。
朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:なでしこアメリカに咲く

和裁洋裁を学びながら終戦を迎え、その後GHQのオフィスでタイピストとして働き始めた著者は、その後英語の力を伸ばして通訳に転身、信頼を受けて秘書まで務めた。60年前に単身アメリカに渡り米国人と結婚、働きながら大学に学び55歳で経営学博士号を取得した「なでしこ」の、人との幸運な出会いに満ちた一生。

「パンパン」という言葉は、性産業従事者と買春者それぞれの偏見を利用して、支配者と女性を嫉妬まじりにおとしめるためのものかもしれない。その偏見で、米兵と結婚した女性が移住先で苦しむこともあったという。

 念のため、これは性産業従事者とタイピストの一方が劣っているという話ではなく、社会の偏見を利用して違う立場の女性を分断し、同時に傷つける問題である。
 そしてGHQは女性だけを雇用していたはずがない。少なくない男性もGHQと取引きし、あるいは仕事していた。敗戦後に米国と敵対をつづけず雇われることを「媚び」と呼ぶなら、女性より多くの男性が「媚び」ていた。
 米兵と関係する女性を性産業従事者とみなすことは、あたかもそれが可能な女性だけが日本国を裏切ったかのように誤解させてしまう。意図しているかどうかは別として。


 さらに、基本的に兵士には恩給が出ていたことも無視するべきではあるまい。
 多くの日本人が戦禍にあっても受忍を国家から要求され、補償から切り捨てられてきた。もちろん兵士になれなかった女性もふくまれる。一方で心身が傷ついても兵士には一定の補償がおこなわれていた。
 もちろん傷痍軍人の痛みが補償で解決したとは思わないし、物乞いをする傷痍軍人が詐欺師だったと主張したいわけでもない。あるいは詐欺師もいたかもしれないし、当時の警察はそうみなしていたようだが、実際に補償から排除された兵士もいた。その多くは、大島渚作品に映されたような、朝鮮半島などの植民地出身の兵士である。
NNNドキュメント’15

大島の魂がこめられたドキュメンタリーが、日本テレビに遺されている。『忘れられた皇軍』(1963年放送) 日本軍属として戦傷を負い、戦後、韓国籍となった旧日本軍の兵士たち。片腕と両眼を失った白衣の傷痍軍人が何の補償も受けられぬまま、街頭で募金を集める…

 日本社会から見捨てられた兵士が搾取されていたと主張できるなら、責任を問われるべきは帝国主義だった戦前戦中の日本の権力者であり、外地出身者を差別した戦後の日本社会だ。


「やまもとやま@mt_yamamoto_」氏は写真について「男性諸氏は身につまされるものがあるのではないだろうか」と評し、その流れで「ある性別が一方的に搾取する側であることなどあり得ない」と主張する。
 なるほど、国家制度として女性の権利が制限されていた時代に気づかず、女性をおとしめる歴史的なイメージに騙されつつ再生産するようでは、フェミニズムによる説得や説明が失敗するのは予想すべき結果ではあるのだろう。
「やまもとやま@mt_yamamoto_」氏や、その言説に説得力を感じた者は、フェミニズムについて論じる前に義務教育で習う歴史でつまづいている。意図によるものかどうかは別として。