法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

高度に妥協した学者は御用と区別がつかない

大沼保昭氏が死去したという報を見て、傾いた世界でバランスをとることの困難を思う - 法華狼の日記

たとえ意識していなかったとしても、いやむしろ難しさを意識しないかぎり、斜面に対して直角に立つだけでは坂を転がり落ちることになる。
バランスをとろうとして複数の対象を批判しただけでは、権力を後押しする言説ばかりが利用されて、権力に抗する言説は目立たなくされる。


かつて大沼保昭氏に対して上記のように思ったことを、最近では尾身茂氏に対して感じている。
五輪開催有無の記載削除 尾身氏「意味なくなった」首相がG7で開催表明で | 毎日新聞

菅義偉首相が先日の主要7カ国首脳会議(G7サミット)で五輪開催を表明したことで「実質的にほとんど意味がなくなった」と述べ、開催の有無についての記載を削除した経緯を説明した。

橋本会長「尾身氏から五輪中止の提言なかった」 5者協議 | 毎日新聞

尾身茂会長ら専門家有志から無観客開催を推奨する提言がされたこととの整合性を問われた組織委の橋本聖子会長は「中止は尾身会長からも提言がなかった」と説明した。

ひとつの科学的な評価を提言におりこまないことは、妥協によって政治を動かす効果があるという理由から一部で賛同されていた。
しかし望んだ方向へ政治を動かせなかったどころか、正反対の方向へ追認する結果となったなら、もはや何の意味もない。


さらにAERAに登場する政府関係者のコメントを読むと、尾身氏らは野党らへの「嫌気」で「目が覚めた」という逸話がある。
【独自】腰砕けになった尾身会長の五輪提言 知られざる“変節”の理由「DeNAが突然、分科会に」 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

「尾身会長は非常にプライドが高い人。感染症とは無関係に最初から五輪に反対している野党政治家から利用され、五輪中止の言質を取るべく煽るような質問が度重なったことで嫌気がさしたようです。政党機関紙やSNSでも『反五輪戦士』のように扱われたことで、目が覚めたとも聞いています」

決定権をもたない野党から利用されることを嫌い、決定権をもつ与党に聞いてもらえるくらいの提言にとどめた。まだしも科学的な野党を中止ありきと決別して、非科学的な与党の開催ありきな態度に利用された……信じたくない話だ。
このコメントが正しいのであれば、尾身氏は医療でも政治でも正当性を失ったという印象をもたざるをえない。コメントが尾身氏の内心とは異なっていても、そう解釈されるようなふるまいをしていることになる。
さらに政府関係者のコメントを裏づけるように、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の古瀬祐気氏が、市民を軽視するような発言をAbemaタイムズでおこなっていた。
「観客上限数、私たちの提言はほとんど反映されなかった」「心を病んでしまった専門家、距離を置くようになった専門家も」“専門家有志の会”メンバーが明かす政治との“距離” 【ABEMA TIMES】

 中には“中止した方がいいんじゃないか”という思いを持っているメンバーも複数いたと思う。だからといって“中止の方が望ましい”というメッセージをこのタイミングで出したところで、それが受け入れられることはおそらくないだろう。提言によって私たちがちょっとスッキリしたり、市民の皆さんが“よく言ってくれた”と褒めてくれたりすることはあっても、大会の中身が何も変わらなければ意味がない。

しかし提言が受けいれてもらえないからと後退すれば、逆に受けいれてもらえるとはかぎらない。後退すれば後退しただけ押しこまれることもよくあるだろう。
国際的なサミットで五輪開催が宣言されても、医療として望ましいのであれば中止を提言で言及することが、せめて科学者としての誠実さではなかったか。
そして「市民の皆さん」がそれを見ていたなら、たとえ五輪には遅くとも、政治を動かすことができたはずだ。日本が健全な民主主義国家であるかぎり。


冒頭の、大沼氏について思ったことを書いたエントリでは、下記のようなことも書いた。

私が報道や著作をとおして知る大沼氏は、妥協に対する批判という予想された反応に耐えられず、社会の傾きに流されるように陥穽に落ちこんだままだった……

今は尾身氏が陥穽に落ちこまないことを願うし、せめて市民がまきこまれないことを願うしかない。