「てのりん@trochilidae」氏のツイートを発端としたやりとりを、id:srpglove氏がTogetterにまとめていた。
「おおくの「なろう系」作品って,どうしてあんなに平等や正義とかのリベラルアーツの問題系に属する概念について主人公にろくな理解もないままに語らせたがるのかね」「自分が作ってるものと同じジャンルのアニメやゲーム,漫画以外読んだこともない人たちが,今粗製濫造されてるラノベやアニメの商業作家の多くを占めてるでしょ」 - Togetter
しかしおおくの「なろう系」作品って,どうしてあんなに平等や正義とかのリベラルアーツの問題系に属する概念について主人公にろくな理解もないままに語らせたがるのかね.
— てのりん (@trochilidae) 2020年11月28日
今回はやりとりの本題ではなく、「リベラルアーツ」という言葉について、いくつか指摘しておきたい情報がある。
いわゆる「リベラル」と「リベラルアーツ」は異なる言葉だ。大学では一般教養課程を指すように、職業や実用に直結しない教養そのものとしての学問という意味がある。
リベラルアーツとは - コトバンク
自由7科(文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)を基本とする「人を自由にする学問」を意味する。日本では「教養」と訳されることが多い。専門教育の準備段階としての一般教養科目と区別するため、最近はリベラルアーツを看板に掲げる大学が増えている。
それゆえツイートを見かけた時は一瞬「リベラル」の混同かと私も思った。しかしよく読むと間違いとはいいきれない、と後述のように思いなおした。
まず、「リベラルアーツ」の用法がツッコミどころであるかのように、「真塚なつき@truetomb」氏がツイートしていた。
誰もリベラルアーツにツッコんでないやさしいせかいだった。
— 真塚なつき (@truetomb) 2020年11月29日
「佐藤葵@srpglove」氏はTogetterでこそ引用しただけだが、上記をリツイートして「やっぱり意味ズレてるよね」とツイートした。
やっぱ意味ズレてるよね(尻馬)
— 佐藤葵 (@srpglove) 2020年11月29日
「真塚なつき@truetomb」氏は連続ツイートで「リベラルアーツ」の一般的な意味や、自由につながる解釈はあっても平等は関係ないと説明していた。
リベラルアーツはふつう文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽の七つで、平等とか正義は入ってないですぅ……
— 真塚なつき (@truetomb) 2020年11月29日
リベラルアーツのリベラル(自由)って、もともと自由民と奴隷の区別があっての「自由民としての教養学問」だから、平等もへったくれもないよね(現代では人間を自由にする教養という解釈もあるらしいけど) https://t.co/88bjaorF3l
— 真塚なつき (@truetomb) 2020年11月29日
さらに翻訳家の「大久保ゆう@bsbakery」氏も、本題の意見についてはわからなくもないとツイートしつつ*1、「てのりん@trochilidae」氏の「リベラルアーツ」の用法が誤っているように示唆した。
(もしかするとリベラルアーツがリベラル作法拳闘試合みたいなことになっている異世界も存在しているのかもしれない……)
— 大久保ゆう (@bsbakery) 2020年11月29日
そして「佐藤葵@srpglove」氏は「てのりん@trochilidae」氏こそが「言葉の意味すらまともに理解できてない」と結論づけた。
昨日の、なろう作家・読者の教養を云々しておきながら本人は言葉の意味すらまともに理解できてないまま「リベラルアーツ」とか言ってた話、こういうことがあると、神様っているんだなと思える。
— 佐藤葵 (@srpglove) 2020年11月30日
しかし、言葉の用法が原義からはなれていくことはよくある。
もともとリベラルアーツが自由人のための学問であるなら、平等にも無関係とはいいきれないだろう。
たとえばリベラルアーツのシンポジウムで東京大学准教授の熊谷晋一郎氏が、当事者研究とリベラルアーツの接点として、自由や平等を開花させる点があると語っていた。
アフターコロナ時代の“教養” リベラルアーツはどこへ向かうか? | shiRUto(シルト)
熊谷准教授は「障害がある人もない人も平等に暮らせる社会とは、その人ができる範囲で平等で、正義や公正が満たされていることが条件になります」とし、そこで求められるのは「選択の幅」、つまり「自由」を享受できることと提言。リベラルアーツは、人が自由になるために必要な知識や技術であり、自由や平等を開花させ、広げていくという点において、当事者研究との接点があるとの見解を示した。
このシンポジウムのレポートを読むと、他の登壇者もふくめて狭義の自由七科にとらわれず、教養が一般的にもつ力について語られている。
熊谷氏、上田氏、隠岐氏、山下氏の4人のパネリストから、リベラルアーツのあり方などについて、「リベラルアーツが求めているのはサクセスではなく、レジリエンス、つまり立て直しの力である」「ヴァルネラビリティ(脆弱性)もひとつの才能としてとらえる必要がある」「能力は場や関係に宿るというのが原則で重要だ」「現在のリベラルアーツ教育は、多数の多様な能力に注目することが大切」など、さまざまな視点や意見が提示され、リベラルアーツの重要性や可能性が改めて認識されることになった。
さらに「てのりん@trochilidae」氏のツイートを確認すると、「リベラルアーツ」が本来は一般教養を指すという話題にふれたものがあった。今件の三ヶ月ほど前だ。
「昔のリベラルアーツ的な「専門的じゃないけどないと困る知識一般」って「中学の理科の内容をちゃんとわかってて、明らかにおかしいことに疑問を持てる」だよね。これがないまま偉くなっちゃった人がいまけっこう問題になってる」とかいうえらく狭い範囲でしか物を見てないTweetをみるなど
— てのりん (@trochilidae) 2020年8月31日
「リベラルアーツ」を理科的な教養にとどめる主張を「狭い範囲」と批判していることから、逆に「てのりん@trochilidae」氏が広い範囲でとらえようとしている意識もうかがえる。
「てのりん@trochilidae」氏に賛同できるかは別として、解釈や確認をおこたって、ただ無知であるかのように批判したのは良くなかった。
辞書的な知識を根拠として言葉の誤用を指摘するのはいいとして、相手が意図的に辞書を超えた用法を選んでいるなら、その言葉づかいを批判するには一工夫いる。
*1: (せっかくの異世界なのに主人公が現実の正義感や価値観を持ち込んで率先して現実と虚構を混同させてどうすんだ、というご意見ならわからなくもないわけで。)
もっとも、「てのりん@trochilidae」氏のツイートは、異世界に現代の思想を主人公がもちこむこと自体ではなく、現代の思想をつたえているはずの主人公が実際には理解が足りない事例を問題視しているように読める。