法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『デアデビル』

一度は闇に落ちた父は、少年マットが事故で盲目になった時から、ボクサーとして再起する。しかし街の支配者に逆らった父が殺害され、やがてマットは街を表と裏で守るヒーローに……


マーベル系アメコミを2003年に映画化。2年後に30分長いディレクターズカット版も公開されているが、103分の劇場公開版を視聴した。

近年のアメコミヒーロー映画が、異なる世界観が同居しがちなところは好みにあわないのだが、この作品では明確な超能力や超自然は描かれず、人間の能力をデフォルメした範囲内なのでリアリティが一定で見やすい。
しかし物語の根幹がどうにも説明不足というか、昼は弁護士で夜は自警団という主人公像が、きちんと物語として説得力あるようには描かれていない。


特に、弱者のための弁護士として活動する描写の少なさが致命的。
具体的には、婦女暴行犯を裁判で罪に問えなかったからといって、その夜に襲撃に行くという直接的な行動に首をかしげた。裁判で勝てなかったからといって直後に暴力にうったえるだけでは、無能な主人公の腹いせにすら見えてしまう。
たとえば、決定的な証拠をつかんだり、暴行犯側の主張のおかしさを指摘したり、主人公側の有利さをたっぷり見せて、しかし依頼人が権力の圧力などで訴えをとりさげて裁判が終わるなどして、それでようやく主人公の選択が理解できるところだ。
あるいは、口では利益追求主義の同僚が暴行被害者の裁判を真摯におこなって、それでも権力に負ける無念さを見た主人公が行動を起こす……といった展開ならば主人公個人の問題で行動したわけではないことが明確になろう。
どうやらディレクターズカットでは弁護士活動描写が多いらしく、監督も劇場公開版では不充分と考えているようだが。


ヒーローの活躍を楽しもうとしても、傷ついて逃げこんだ教会で床に落っこちる姿がファーストシーンで、そこから主人公の少年時代が回想されていくので、ヒーローなのに弱々しい印象がついてしまった。アクションそのものはハリウッド映画ヒーローとして期待される水準を堅実に維持しているとは思うが。