法華狼の日記

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ブラック企業ユニオンにくわわったマッドハウスの制作進行に、文春がくわしくインタビューしていた

マッドハウスの制作進行がブラック企業ユニオンに参加したとの報 - 法華狼の日記

業界全体が構造的に問題をかかえている時、問題が表面化するのは相対的にマシなところからという場合もある。

上記エントリで言及した件のインタビューが、文春オンラインで2回にわけて公開されている。
bunshun.jp
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過労からユニオンに参加する決意をかためるまでの日々と、アニメ業界を目指した個人史とで、それぞれ興味深い内容になっている。


インタビューを読んだ印象として、やはり業界内で相対的にマシだったからこそ、制作進行が戦うことを選べたのではないか、ということを感じた。

アニメ業界が激務だとは知識として知っていましたが、日本テレビの子会社ですし、会社説明会で社長や社員の方に実際に会って温和そうだったので大丈夫だろうと思っていました。ちょっと認識が甘かったですね。業界内では「マッドハウスホワイト企業」と言われているそうですが……。

ウェブブラウザで出退勤を記録するシステムがありますが、みんな「どうせ残業代は出ないから」とあまり正確につけていない。私はきちんと記録していましたが。

今回の一件は、私とマッドハウスだけに限った話ではありません。同じ社内の制作進行も、特にTVシリーズを担当していれば100~200時間以上の残業は強いられます。下請けの制作会社には、タイムカードすらないと聞きます。

記事タイトルにもなった月393時間の労働が計測できたのは、世間並みに出退勤を記録するシステムが用意はされていたからともいえる。
また、制作進行が失望してユニオンへ参加する後押しになったとはいえ、見当外れなりに会社側が「働き方改革」に対応しようとしていたエピソードもでてくる。

他にも「土日出社で発生する代休を買い取ります」、「有給を5日必ず取得してもらいます」といった話がありましたが、どれも「そうじゃねぇよ!」と叫びたくなるようなトンチンカンな対応ばかり。

関連して、文春の使う表現で違和感があったのが、「働き方改革」という言葉を肯定的に引いていること。

 原画や動画を担当するアニメーターの多くはフリーランスであり、その低報酬はかねてから問題視されてきた。しかし、マッドハウスの正社員であるAさんのような立場もまた、「働き方改革」の波から取り残されてはならない。

インタビュー内ではマッドハウスの見当外れな対応につながったわけだし、むしろ直前にブラック企業ユニオンが指摘した「定額働かせ放題」を生みだした政策ではなかったか。

ブラック企業ユニオンの坂倉氏が語る。

マッドハウスは『時間外労働手当と深夜労働手当として、それぞれ50時間分の固定残業代を支払っている』としているようですが、50時間を超えて残業しても、残業代は1円も増えません。『定額働かせ放題』です。そもそも『固定残業代』について、入社前の説明は一切ありませんでした。計算すると300万円の未払い残業代が発生していると考えられます」


また、作画を表層だけ整えることが求められる状況の問題を感じさせるエピソードもある。アニメ制作の風景として、公式情報でもよく見かけるような情報ではある。

滅茶苦茶な状況下でも、最終工程の『ラッシュ(試写)』で監督は容赦なく作画リテイクの指示を出し、プロデューサーもクオリティ維持のため、それを容認します。『これじゃ帰れない。我々を殺す気か……』とも思いますが、命令である以上、制作進行と社内スタッフが納品直前まで不眠不休でリテイク作業を行い、『作画崩壊』とは言われない水準まで映像を直して、放送を迎えます。

制作進行が自作した制作フローの概念図も紹介されている。

この絵だけで個人が素材を部署間で運んでいくのが困難と実感できるが、さらに作画担当のアニメーターは基本的にフリーランスなので複数の作業場を素材の移動とチェックで移動しなければならない。

担当者が、軽自動車で原画マンの自宅を回ります。社用車が10台ぐらいあって、それを運転して深夜に回収するのです。アニメーターは夜型ですからね。みんなバラバラなところに住んでいるので、それを一軒一軒回っていきます。L/Oの回収、L/Oの戻し、原画の回収、計3回ですね。厳密に言うと、絵コンテと設定資料を届けるため、その前にも1度行っています。

現在は絵を整える要求が不要に高く、近年は話数をまたいで修正する「総作画監督」どころか、「総総作画監督」なる役職まで見かけるようになった。ちょうど問題のマッドハウスが2014年に制作したTVアニメ『魔法科高校の劣等生』にも存在していたことを記憶している。
『魔法科高校の劣等生』アニメの原作軽視を批判するために原作描写を無視するなんて、なかなかできることじゃないよ - 法華狼の日記

「総総作画監督」という不思議な役職についた石田可奈はもちろん、ずっとメカ作画監督やアクション作画監督をつとめているジミー・ストーンも文庫版挿絵にかかわっている。どちらも育成という立場で参加しているとは考えにくく、できるだけ文庫版原作のビジュアルイメージを再現するための登板だろう。ひとりが全話数に参加することは難しいので、先に最低限の修正をおこなう作画監督をたてて、それを総作画監督という立場で修正するわけだ。

全体の統一を優先してアニメーターの個性を抑えるために、やたら作画リソースを必要としている事例と考えるべきだろう。くわえて、スケジュール不足のため、作画監督を多く必要としていることも考えられる。

チェックや修整の手順がひとつ増えることは、その話数全体の工程がひとつ増えるようなものだ。そうして制作進行の作業量がますます増大していく。
映像が高度安定している京都アニメーションが、ほとんど社内で原画を完成できる制作フローになっていることの意味をあらためて感じる。クレジットされる原画の人数が、映像の密度に比べて異常に少ないことも、ひとつの理想形ではあろう。もちろん、会社でかこいこむことが、それはそれで束縛を強める危険もあるが。


いずれにせよ良かったのは、今件で制作進行が現場で監督などと対立して労働者同士で消耗することを選ばず、会社の用意したリソースが不足しているという根幹と戦う判断をしたところだ。
インタビューを読んでいくと、A-1 Picturesでの制作進行の過労死報道によって、アニメ業界に入る前から疑問をいだいていたことが、ひとつの助けになったのかもしれない。

2010年に、別のアニメ制作会社で月600時間働いた制作進行の社員が自殺して、のちに過労自殺として認定されました。高校生くらいのときでしたが、その新聞記事の切り抜きは、いまも持っていますよ。アニメ業界を志していた私は、『なんで好きなものを作っている人が死ななければならないのか』と強烈に疑問を感じたことを覚えています。

念のため、過去の死が助けになったという話ではない。問題がきちんと表面化して報道されたことが、時間がかかりつつも次の世代に良い影響を与えられたのではないか、という話だ。