法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『HUGっと!プリキュア』第49話 輝く未来を抱きしめて

決戦を終えて、野乃たちは未来からきた人たちと別れを告げる。そして時は流れ、野乃たちは大人になって……


坪田文シリーズ構成の11回連続脚本にとどまらず、佐藤順一座古明史シリーズディレクターにならんでコンテにもクレジット。プリキュアとしての日々に別れを告げる前半から、登場人物が未来を生きていく後半までを、素直に描いていく。
いかにも未来は開かれているとうったえてきた作品らしく、少女たちだった登場人物の未来図がどれも主体的な職業をもって自立した姿を見せる。そのようなアニメを女性スタッフが中核となって作っていることで、作品そのものが説得力をもたらしている。
また、おそらく岩井隆央演出と3人の総作画監督が大きく手直しをしているとは思うが、原画から作画監督までフィリピンに外注しながら画面がハイレベルで整っていてレイアウトもしっかりしていることに感心した。


基本的な構成は過去シリーズの最終回でも何度か見られたものであり、そこに驚きはない。細かな登場人物がひとりひとりネタとして拾われるていねいさに安心できたのと、前回に誰もがプリキュアになれることを提示したおかげで次作のプリキュアが唐突に参戦しても違和感が生まれなかったことくらい。
ただ、最後の最後に野乃が出産する展開になったのは、さすがに驚いた。前振りとして第27話*1や第35話*2で出産シーンが描かれていたし、はぐたんを実際に野乃が生んだことは何度もにおわせていたが、まさか実際に産む瞬間まで描くとは思わなかった。


最終回なので作品全体の感想も書いておく。
実はシリーズにおける挑戦が特に多かったわけではないし、現代の女子向けアニメとしても突出したところは少ない。ただだからこそ、物語にのせられたメッセージがわかりやすく浮かびあがり、幅広い視聴者に伝わって消化しやすかったのだろう。
シリーズ構成が終盤11話の脚本をすべて担当したりと、脚本家が主導したとおぼしき作品ながら、けっこう物語の出来不出来にばらつきがあったとは感じている。そうして各回のメッセージについては感心したりしなかったりしたが、だからといって娯楽として不要だったとは思わない。未来を信じて応援するという作品テーマを決定した時点で、現代的な観点を物語にとりこむことは必然だった。
現代的な観点で登場人物を動かしたエピソードほど新鮮で個性を感じさせたし、次に何が描かれるかという期待感があった。たとえば終盤に注目された若宮アンリは、ホモフォビアな反発だけでなく、サブキャラクターなのに目立ちすぎという批判もよく見かけたが、存在しなければずっと刺激の弱いつまらない娯楽になったろう。逆に、第27話の「育メン」描写のように社会問題を古臭い観点で処理したエピソードほど説得力がなくなり、むしろ娯楽として低評価せざるをえなかった。
ただ他に、応援をテーマにした物語らしく周縁のキャラクターを目立たせつづけた代償として、メインキャラクターの存在意義が薄れたという問題は感じた。前作よりもプリキュアの人数を減らし、敵首領を抑制的な存在にしたことで尺不足とまでは感じさせなかったものの、たとえば薬師寺さあやは序盤に期待させたほど主人公との関係性を深めないまま終わった。愛崎えみるとルールーは良かったが、既存のプリキュアの輪から外れた別の関係性をかたちづくっており、立ち位置としてはサブキャラクターに近かった。
主人公の野乃はなにいたっては、周囲から距離をとった局面が、良くも悪くも最も印象に残るキャラクターだった。その意味ではイジメ問題を過去の挫折にとどめず、もっと終盤まで引っぱっても良かった気はする。さすがに難しいとは思いつつ、佐藤順一作品が時々見せる暗さをもう少し期待していた。