法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

吹替アンチの意味がわからなかった

字幕アンチの意味がわからなかった

字幕を読んでいて画面が見れないと言う人など意味がわからなさすぎる、読みながら見れないのか。

ここで実際に字幕に視線をやる時間を計測したTV番組の実験がある。
外国映画、字幕から見るか? 吹き替えから見るか? - 法華狼の日記

イタリア映画『ピノキオ』を鑑賞してもらった6人は5人が字幕に高評価をつけ、1人だけがどちらも良いという評価。
しかし6人へ見せた映画にはトリックがあった。字幕として見せられていたのは、実は英語吹き替えされた字幕版。

字幕に視線が行くため俳優の演技をよく見ることができず、口と吹き替えのずれに気づかないのだ。視線の動きを計測する機械で調査したというデータによると、鑑賞時間の4割も字幕に視線をやってしまっているという。

つまり字幕派こそ、きっちり映像を見るより台詞を読むことを優先しているといえるわけだ。むしろ字幕という導線がないと画面に集中できないという可能性もある。
そもそも多くの字幕が映像にかかる以上、どうしても画面のノイズになることはさけられない。例外的に、シネマスコープサイズの『ロード・オブ・ザ・リング』のDVDで、ビスタサイズの上下黒帯部分のみに字幕が表示されるのを見たことがあるくらいだ。


もちろん実際には、作品によって字幕と吹替のどちらがふさわしいかが変わってくるだろう。
印象に残っている作品として、4ヶ国語でディスコミュニケーションを描いた『アミスタッド』は1言語だけ吹替なので字幕で鑑賞したし*1宗主国側だけ吹替で字幕の現地とのディスコミュニケーションを実感しやすい『ルワンダの涙』は吹替で視聴した*2。そして、ディスコミュニケーションを描く作品で多言語すべてを日本語で訳している場合は、字幕を選びたい。他に、多人数が口々にいいあう場面の多い作品は、ていねいに翻訳されているなら、どうしても字幕は吹替に劣る。
まれに、無音のテロップを吹替でナレーションする作品もあり、良くも悪くも演出レベルで印象が異なってくる。この場合は字幕も吹替も両方を映像ソフトに収録してほしいものだが、そういう作品にかぎって一方だけ収録されることがありがちだ。

また、字幕は情報量が少なく、吹替では多重の意味を込めづらい問題は、そうした説明を足した字幕を設定してほしい気持ちもある。映像ソフトでくりかえし視聴できる現在、文字数制限の慣例にしばられる必要はあるまいと思っているのだが……