残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。
前作「兵士たちの遺言」は2015年に放映されて高い評価を集め、ギャラクシー賞を贈られた。追加取材をふくめて書籍化もされている。
- 作者: 清水潔
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/12/05
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今作は前作への反響のうち、批判的な主張への反論として構成。TV番組では珍しく正面から「歴史修正主義」を批判する。
数々の証言や一次資料から捕虜虐殺事件の実像を描きだし、対する自衛発砲説の根拠がどれほど薄弱なのかを暴きだす。
そして公的資料が隠滅されたことが反証をも難しくした問題をつきつけ、言外に現在の日本政府を批判の射程におさめた。
まず、揚子江沿岸での捕虜虐殺を証言通りに前作よりも克明な3DCGで再現。
倉庫の分厚い壁にツルハシで穴をあけて機関銃の銃眼にしたり、扇状に捕虜を包囲しつつ同士討ちにならないよう合図の炎を射線の目印にしたり、入念な前準備で虐殺されたことがわかる。機関銃で数千人単位の捕虜を死傷させた後に銃剣でとどめをさす兵士も用意され、なかには生きていた捕虜に刀を奪われて切られたという証言も出てくる。
全滅させることを前提にした準備がなされたことが示されたから、解放した捕虜が戻ってきたため自衛のため発砲したという主張に説得力がないことがわかる。処刑が目的ではないのなら、揚子江をわたすための船を準備したような証言も出てこなければおかしいし*1、機関銃を撃っただけでなく後処理してまわった証言が出てくることもおかしい。
次に、自衛発砲説の根拠をたどって、責任者の戦後の弁明だったと指摘。
東中野修道氏らから鈴木明氏らの書籍をたどり、両角業作連隊長の証言が基だったことを示す。さらに残された連隊長自身のメモから、本人は南京入場式に出ていて、発砲の現場にたちあっていないことを指摘。実際に現場を見ていた証言や資料によって、誰が現場にいた責任者だったかを描きだし、捕虜が「屠殺」*2されたという見解の強固さを示していく。
さらに、連隊長の証言を連載した福島民友新聞の、当時の記者にインタビュー。連載直後に連隊長が亡くなったことから生前に取材できたと思われる唯一の記者は、連隊長から聞いた主張をくりかえし語りつつも、番組の質問に対して揚子江での出来事を「虐殺」と位置づけた。
ちなみに番組に対して、機関銃だけで数千人を殺せるわけがないかのような批判が一部にある。
しかし紹介したように、実際は無防備な捕虜を遮蔽物のない状況で撃っていき、動きがなくなった状況でとどめをさしたと説明されていた。
連続するツイートの後半では扇状の陣形などに言及されているが、同士討ちをさける工夫にはふれていないことから、おそらく引用された画面キャプチャしか見ていないのだろう。
揚子江の広さを把握しているのか疑問に思わざるをえないツイートもしている。川幅が約1kmほどもあるのに、数十人でつまるとは、中国兵は巨人だったとでもいうのか。
そもそも機関銃の殺傷力を低くみつもっていいならば、捕虜虐殺などより自衛発砲の困難性が増すだろう。撃たれても生き残る可能性が高く、そして虐殺が目的でないならば、生還した中国兵の証拠も多数あるべきだろうし、負傷した捕虜を救護したり治療したという日本側の証言もなければおかしい。
また、両角証言を報じた福島民友新聞を見ていて、従軍慰安婦問題における吉田清治証言を連想せざるをえなかった。
吉田証言は長らく肯定的に用いられることがなく*3、信用された時期には各新聞紙が報じたが*4、あたかも突出して報じつづけたかのように朝日新聞のみが批判された。
一方で両角証言は、国家の公的見解にまで採用され*5、現在も複数の著作が肯定的に用いながら、流布の源流のひとつとなった福島民友新聞が批判されているとは聞かない。
念のため、私は福島民友新聞が強く批判されるべきとも思わない。歴史の真実として報じた責任や影響を考慮しても、当時の軍人の主張はそれなりに貴重な証言ではあり、責任者の弁明にすぎないと読者が読解することもできる。
あくまで福島民友新聞より朝日新聞の責任ははるかに小さく、前者が批判されるべきでないなら後者はいっそう批判されるべきでないのでは、という疑問だ。
*1:それどころか後述の両角証言を検証する過程で、船を用意などしなかったという証言が出てくる。
*2:虐殺証言者のひとりが、この表現を用いていた。
*3:1994年の国連の報告書に採用された時点で、あまり比重がおかれておらず、むしろ反証に文字数をさいていた。クマラスワミ報告書と吉田清治証言と性奴隷認定の関係をめぐるデマ - 法華狼の日記
*4:朝日検証や植村隆インタビューで指摘されたように、朝日新聞が肯定的に報じたのは1992年が最後で、それ以降にも産経新聞などが肯定的に報じていた。植村隆インタビュー詳報において、産経側の主張が自壊していくまで - 法華狼の日記 しかし朝日検証以降にいくつかのメディアが過去に吉田証言報道をおこなっていたことを認める記事を出したが、はっきり謝罪や訂正をおこなったのは北海道新聞くらいしか見かけなかった。
*5:東中野氏「再現南京戦」(5) 「幕府山事件」(1)で冒頭に紹介されている『戦史叢書 支那事変陸軍作戦<1>』は、防衛庁が編纂した公的戦史だ。