法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

安倍政権の公文書改竄疑惑をめぐる報道を見ていて、文在寅政権による日韓合意検証を批判する理屈がひとつ消えたのでは、とふと思った

直後に訂正したとはいえ、財務省の担当者が野党のヒアリングに対して「いろんなバージョン」がありうると口走っていた。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3309111.html

「(近畿財務局に)我々と違う調書がデータとして残っていることは認めますね」(共産党 辰巳孝太郎参院議員)

 「開示請求等の関係で、いろんなバージョンが存在してしまった可能性があると思いますが」(財務省の担当者)

 「バージョン?」

 「すみません。ちょっと言葉遣い、撤回させていただきます」(財務省の担当者)

ここで朝日新聞のスクープの正確性とは独立して、日本の公文書が信頼できないことが明らかになったといっていい。


ここでふと思い出したのが、日韓合意検証を批判する先々月のBeriya氏によるツイートだ。
朴槿恵前大統領と韓国自体を同じようなものと認識しているBeriya氏の不思議 - 法華狼の日記

ここでのBeriya氏の主張は、最も安易な現状追認と区別がつかない。その現状の把握にしても、朴槿恵政権の支持を残す韓国メディアの意見ではなく、国際社会の懸念を引けていないのが説得力を欠いている。
そもそも日韓合意における密約が、誰に対して利益をもたらし、誰に対して秘密にする必要があったのか、具体的な認識にもとづいて考察されているようには見えない。当事者に受けいれてもらうべき合意に隠された条件があったことを、交渉において秘密も必要という一般論で正当化できるだろうか。当事者の時間が限られており、まさに「歴史」の忘却を求めるような外交が、「歴史」になるとはどのような時期を指すのか。

上記エントリの反論では断言できなかったが、安倍政権を検証するための資料が「適切に公開」されるとは期待できないことが、今回の公文書改竄疑惑ではっきりした。
日本側からの「適当」で「適切」な検証が将来にわたっても期待できない以上、歴史となって忘却される前に相手国が検証したことを日本側からも感謝していいくらいだ。


もちろん、これは現在から考えた結果論にすぎないとは考えているし、まさか文在寅政権も公文書改竄の可能性は想定していなかったとは思う。
しかし史実否認や資料隠蔽をくりかえしてきた安倍政権の過去を思えば、こういう方向から日韓合意検証の必要性が裏づけられる可能性は考えるべきだった。
わずか2ヶ月という「適当な時間」をへて、日韓合意検証の正当性が「歴史」において証明されたわけである。