法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『FLU 運命の36時間』

密入国のためベトナム人がコンテナに押しこめられ、罹患していた鳥インフルエンザが突然変異。密入国業者の弟を初めとして、感染を広げていく。
そうして孤立した都市で、ただひとり生きのこったベトナム人を追って、レスキュー隊員と女医は数奇な運命をたどることになる……


2016年の韓国ノワール『アシュラ』が絶賛されたキムソンス監督による、2013年の韓国映画。高致死率のウイルスパンデミックにゆらぐ韓国社会を約2時間かけて描く。

韓国映画らしく、娯楽的な見せ場は充実。パンデミックが始まる前からレスキュー隊員による救出作業をサスペンスたっぷりに描き、パンデミックが始まってからは都市全体の異変と守るべき人を探すドラマで、パンデミックが非人道なまでに隔離されてからは国家との衝突が始まる。
そうしてスケールが大きくなっていく物語を、きちんと映像として支えられているところもすごい。首都ソウルのベッドタウン盆唐の協力をえたことで大規模な撮影がおこなえたこともあるだろうが、とにかくVFXの技術力が高くて、ひとつの都市に恐怖が蔓延していく情景を高い説得力で見せられていた。エキストラに見える大群衆は3DCGモブだし*1、暴動を後押しする驚愕の情景もVFXを活用している。
かつて韓国映画は2000年代ごろから娯楽大作でも高評価されたが、映像は大規模なロケやセットやエキストラに依存していた。特撮に限るならば、山崎貴監督を擁する白組や、一般映画で本気を出した特撮研究所などを見れば、まだ日本映画が優っていた印象がある。しかし最初から3DCGへ重点的に投資できていたためか、2010年代に入って韓国映画VFXは日本映画に追いつき、平均値や最高値では抜き去った感すらある*2


前半でオーソドックスなパンデミックサスペンスを展開しながら、後半から隔離をめぐる国家と市民の対立へ移行することで、まったく違った味わいを同時に楽しめる良さもある。
貧しい外国人の労働力を買いたたくという導入から、目先の利益しか考えずに事態にあたる政治家や、韓国政府へ強い立場から指示する米国などで、社会派テーマを組みこんだドラマとしても見どころがある。
また、感染から生き延びようとする末端のドラマを主軸として、それを乱暴に押さえこもうとする韓国軍でアクションを展開する構図は、2017年のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』*3に通じるところがある。印象的な俳優が違った位置づけで活躍している面白味もある。比べると洗練が足りないが、それぞれの場面で主要登場人物の行動目標が明確なので、都市まるごと使った群像劇でも話運びがわかりやすい。


ただ残念ながら、隔離地域や収容人数の規模に比べて、探し人の発見が容易すぎる場面が多かった。数十万人が隔離された空間的スケールを見事に表現できているからこそ、物語の都合が目立った感がある。同じ脚本でも日本映画として作ったならば、せいぜい数百人規模の一区画くらいのスケール感になり、すぐ探し人にたどりついても不自然には感じなかったろう。
あるいは、空間的スケールの表現に比べて、時間的スケールの表現が足りなかったのかもしれない。邦題にある36時間を乗りこえた非感染者も国策のため隔離されつづけたことが暴動の一因なのに、隔離中はずっと薄暗くて時間が経過した印象がない。たとえば主人公らが人を探しつづける場面に、無人化された白昼の繁華街や、幼児への食糧の配給を待ちつづける親を挿入すれば、一昼夜以上もかけてようやく発見したという雰囲気になったろう。